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アテフ・ハリムさんとのこと

 お会いしたきっかけは、ビックサイトで行われた建材展に20年来の私の友人が出展して、その応援にと請われて私が上京した時でした。ブースには私の仕事も写真パネルとして展示され、そこで接客していたのですが、その友人の友人として現れたのがアテフご夫妻でした。つまり音楽から始った出会いではなく、本当に偶然に友人の紹介でお会いしたのです。二言三言交すうちに、お二人とはすぐに打ち解け、私のパネルを見ながらアテフさんが、「これはあなたの仕事ですか?」と問われて、私がそうだというと突然「ここで演奏してみたい」とひと言言われたのです。勿論それは立派な音楽ホールではなく、私がいつも作っている住宅のワンシーンを切り取った写真でした。著名なヴァイオリニストの彼がまさか気軽にそんな演奏をする筈もなく、大層なリップサービスだと私も思っていました。その後、お会いするごとに親交は深まりました。彼の音楽への思い、日本への思い、そして平和への思いは私にとっては共感することが多く、いつしか杯を交しながら前世はきっと兄弟だったと互いに言い合う仲になったのです。

 時が流れて、今から8年前のことです。私は、とある仕事と格闘していました。大きな旧家の立ち退きに代替地を与えられて、家の新築をせざるを得なくなったご家族との住まいづくり。計画は、農家故の理由から、どうしても家族の人数よりも明らかにオーバースケールになってしまい、大きすぎるその住まいを建てなければならないジレンマを、私は心に抱きつづけていました。このまま出来上がり、引き渡してもご家族にフィット感はあるのかとずっと自問自答していたのです。旧家を捨てて新天地で暮らす、ご家族の中でもおばあちゃんが余りお元気でなかったのも引っかかりました。いよいよ住まいをお引き渡しする段になって、私はひとつの提案をしました。この住まいがずっと皆さんを守るように、「こけらおとし」をしたいと。邪気を払い、良いもので大きな家を満たしたいと思いました。その時に、駄目元でアテフにお声がけしたのです。アテフは以外にも即快諾してくれました。私と施工店が協賛し、私の周りのお客様50人余りが集まってくださるコンサートとなりました。予算がある訳でもないので、アテフのヴァイオリン一本。申し訳なくも伴奏もありません。それでも感動的な演奏が、宅内を満たしました。あの時のことは決して忘れられない。最後に、アテフは「これはおばあちゃんへ」と朗々と「故郷」を演奏してくれたのです。おばあちゃんは今もお元気で、その住まいで暮らしておられます。

 彼のヴァイオリンからは、優しさが溢れ出てきます。平和への祈りがにじみ出てきます。以来私は彼の大ファンになりました。アテフ・ハリムさんとのことはそんな月日を経て今があります。(おわり)

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| 音楽・アート | 07:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
アテフ・ハリム ヴァイオリンリサイタル6/24

 日曜日の東京文化会館でのアテフさんのリサイタルは、実に彼の来日25周年の記念すべきリサイタルでした。例年私はこの日を「一年の中での唯一の贅沢」と銘打って楽しみにしているのですが、今年は諸事情で伺うのをギリギリまで迷い断念することも何度も考えましたが、やはり行かねばと思い立ち、強行軍でしたが大親友夫婦に会いに伺ってきました。最近こういう瞬間の内面的な思いの共有こそが、本当は人間にとってのなによりの幸福なのではないかと良く思います。

 舞台は私たち建築を生業としている者としてはこの上ない、巨匠前川國男による東京文化会館。大理石のようなコンクリート打ちっ放しの刻々と深みを増しつづけている空間で聴くアテフさんのヴァイオリンは、至福の時間の極みなのです。今回のステージは、彼の生い立ちから来日、そして25年の日本になぞらえて、エジプトカイロでの初舞台、パリへ修行に出るアレキサンドリアの港、フランスでの日々、日本を連想する曲の数々でした。前半はシャコンヌに始まり、ドラマチックなフランクの「ヴァイオリンソナタイ長調」聞き応えがあり刻々と変化するシーンに酔いしれました。休憩のあと、初舞台の演目「チゴイネルワイゼン」船出を連想する「タイスの幻想曲」パリの時代を想うラヴェルの「ハバネラ」フォーレ「夢のあとで」と続きました。日本に来ての「荒城の月」そして震災の時の「花は咲く」最後は、アテフの真骨頂、ブラームスの「スケルツォ」でまさに全力を注ぐ舞台でした。来日当初からペアを組むピアニスト金子めぐみさんとのコンビも最高で、いつになく滑らかで元氣一杯のアテフに思えました。私のような者が親友とはおこがましいですが、他にクラシックを余り聴かない私が、彼の平和への強い思いが音になり心揺さぶる演奏だけは染みて染みて仕方ない。そして幕後に一献交す度にそんな話をよくします。25年経って、「1/3日本人になった」と彼は笑います。二人でよく、「前世は兄弟だった」と肩組んで酔っぱらいますが、本当にそれほど遠くにいても心通う朋なのです。周りの者は、二人が何語で話しているかよくわからないと不思議がりますが、人と人との心の交流はそんなものなのかもしれません。私から言わせれば、すれっからしで上っ面で、損得勘定ばかりが目立つ昨今の日本人よりも、彼の方がよほどの生粋の日本人です。少し無理をしてでも行った甲斐がありました。負けていられません。一年の元氣をまた沢山もらってきました。

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| 音楽・アート | 07:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
「真夏のちょっと過ぎた夜の夢」中州JAZZ...。

 昨晩と今夜、博多の繁華街「中州」とその周辺は、心地よいJAZZに包まれます。毎年恒例になってもう何年になるだろう。私も毎年楽しみで、昨夜、待ちきれないように出動致しました。学生時代に諸先輩にJAZZの薫陶を受け、以来私の人生にも折々でJAZZが流れます。JAZZが良いのは、個性派なメンツが最低限のルールに則って即興的なアドリヴを回しながら瞬間瞬間で小気味良く一つの音楽として調和していくところ。私はそれを人付き合いのお手本のようにいつも感じます。中学の頃読んだ実篤の言葉に「君は君、我は我なり。されど仲良し」という有名な言葉がありますが、JAZZのセッションはまさにそれだと思うのです。また、クリエイターは世の中の動きにも敏感です。先年来福した日野皓正さんが、70代とも思えぬ元気さで震災への想いを込めた曲「NEVER FORGET 3.11」を吹き捲くったあと、帰らない群衆のアンコールに応えて、照明が消えたステージにスポットライト一本で再び登場し、無伴奏で♪うーさーぎーおーいし♪と童謡「故郷」を高々に吹いて「バイバーイ」と颯爽と帰っていったあの瞬間の記憶は、まだ新鮮に残っています。今年はJPOPで活躍していた大江千里さんが一念発起でニューヨークに渡り、渋いJAZZピアニストになって帰ってきたのも素敵でしたし、名ドラマー村上ポンタ秀一氏のバンドでGUN kondoさんが歌った「On The Sunny Side Of The Street」が心に響きました。鬱々とした世の中で、下ばかりも向いていられない。上向いて、前進して歩こうと言う彼女のMCが本当に今そんな空気感だなあと実感しました。もっと私たちは「くらし」を謳歌して良いのだと思います。そして大声で嫌なことにはNO!と言って。久しぶりに清々しい夜でした...。

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| 音楽・アート | 07:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
GW...窯開き。
 世の中は連休、私の場合は先日の渡航中の残務をこなすGWですが、しばし気分転換とお誘いいただいた糸島の莫窯の窯開きに立ち寄りました。莫窯の上原ご夫妻とはもう20年来のお知り合い、GWと言えば福岡市内から日向峠を越えて、山間のこの緑に包まれた場所が恋しくなるのです。先日の大雨と打って変わって、雲一つない快晴のしばしのドライブは本当にせいせいします。細いクネクネ道を上がっていくと、いつもの佇まいがありました。ただこの時期ばかりは静寂と言うより人々でにぎわっています。粉引の皿、湯のみ、マグカップなどいつも清潔で繊細なご主人上原治夫さんの器がギャラリー一杯に並び壁には奥様敬子さんが織られた神々しい色とりどりの織物のマフラーやタペストリーがかけてあります。お二人の作品もなおのことながら、ゆかりの方々が三々五々集まって、およそ一年ぶりの再会ですねと歓談するのもこの窯の愉しみの一つです。一通りゆっくりと作品を拝見させていただきながら佇んでいると、窯主の上原さんがさりげなく来訪者同士をお引き合わせしていってくれます。私もついには奥のダイニングに座り込んでいつしか酒席の一員となっておりました。もちろん私は車での来訪。もうすでにかなり御酒の入っている皆様にノンアルコールビールで追いかけると言う具合です。ゆっくりとした時間が流れ、皆様としばし楽しいお時間を頂きました。(莫窯・春の窯展・本日18時まで/糸島市高上342)
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| 音楽・アート | 14:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
平和への祈り...アテフ・ハリムさんのこと。
 もう「友人」とお呼びしても失礼には当たらないかもしれません。著名なヴァイオリニスト、アテフ・ハリムさんご夫妻とのご縁も随分長くなりました。今回、九州へ来られる事は私の上京前に伺ってはいましたが、おそらくすれ違いだと諦めかけていたところに、最終日に市内にて小さな演奏会をすると言われ、急遽駆けつける事になりました。市内のとあるログハウスのカフェレストランでの少人数の会。ここ数日沈痛な想いの私と、やはり彼の想いもシンクロしていたようです。MCの奥様が少しパリの事に触れられたときに、彼はすぐにそれを遮り「今日は楽しい事を話してその話しは辞めましょう」と優しく言われました。演奏が進むにつれ、私は無言の中の彼の想いに聞き入っていたように思います。故郷のエジプトの港を思いマスネの「タイスの瞑想曲」お母様を想いシューベルトの「アヴェ・マリア」そして日本の童謡、ラフマニノフの美しいメロディーの「ヴォカリーズ」などを弾かれたあとに、映画「シンドラーのリスト」のテーマ、最後はエルガーの「愛の挨拶」アンコールにも快く応え、「シャコンヌ」とバッハを弾かれました。後半になるほどに熱気が伝わり、彼の想いが迫ってくる。エジプト人の父ととフランス人の母を持ち、パリで修行を積み活躍されて後、日本に渡り22年。彼の経歴をみても、国際色豊かで、このところの社会情勢に心を痛めないはずが無いのです。
 彼は「音楽は言葉がいらない。ハートで感じ合える。音楽で、平和を訴え続けたい」と言われました。私は本当に本当にこれなんだと思いました。対立ではなく、平和への祈り、想い、誓い、これが必要なのです。瞬間、瞬間、個人同志が心を通じ合い、共に人間同志が互いを認め合う事。ここからしか始まらないのです。彼は音楽で、私は稚拙ながらも住まい作りでそれを祈り続けるのだと思います。飲めば二人で肩を組み、「300年前から兄弟だった」と豪語して、周りを困らせます。敬愛するブラザー、アテフ・ハリムさんに、また一つ大切な事を教えてもらった気がします。政治も、経済も、色々難しいでしょうが、そんなこと吹っ飛ぶくらい大切なのは、人間ひとりひとりの「愛」です。愛のある音楽、愛のある住まいを目指します。
夜には限られた時間でしたが、ご夫妻と少しばかりの酒とお二人が大好きな暖かいおでんを愉しみました。本当に良い夜でしたので、皆さんにお裾分けです...武器の無い平和を...。
(演奏中の写真撮影は厳禁ですが、ご本人にご許可を頂きこの撮影と掲載をしています)
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| 音楽・アート | 08:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
アテフ・ハリムさんとのこと...。
  この間の日曜日、私はつかの間東京にいました。旧知のヴァイオリニスト、アテフ・ハリムさんが奏でるヴァイオリンを聴く為です。それだけ書くとなんと贅沢な事かと言われそうですが実はそれだけではありません。かの前川国男氏設計の東京文化会館小ホールという絶好の器の中でという注釈がつき、もっと言えば前川国男は言わずと知れたル・コルビュジェの愛弟子にて会館の横にはコルビュジェ作の西洋美術館があります。1959年の美術館に続き、1961年(1961年は私の生まれる前年)、音楽・芸術の殿堂としてこのホールは建設された54年前のモダニズム建築の傑作です。以前福岡でお会いしたときに。会館が改装の為に一年リサイタルが開けない。アテフさん自身国内で一番気に入っているホールなので、一昨年まで毎年行われていたリサイタルを来年は再会するからと言い、一昨年同様、私も必ず行くと約束しました。来福の折りには連絡をもらい必ず一献交わす仲ですが、私が友情に律義な訳ではなく、ただこんな機会を逃してはならぬと無理矢理力ずくで約束をして自分を東京に弾き飛ばしたというのが真実かもしれません。笑。近年休みもほとんど取れずこうでもしなければ決行不可能。小心な私はお客様に迷惑はかけれないととんぼ返りの大冒険でしたが、やはり行って良かったと実感しています。
 ホールからは、当時の生真面目な大理石のようなコンクリートにモダニズムの神髄を垣間見、建築に向かう先人の魂を感じます。そして、彼の奥様のMCの明美さんの「神に託された愛の戦士」と称されるアテフさんの平和への祈りが、心の奥の奥を鷲掴みにして揺さぶられる感覚に酔いしれました。アテフさんとは、お会いして間もなくより何となく他人とも思えず、「何処かで兄弟だったかなあ」と言い合う仲です。巨匠にそんな馴れ馴れしいとファンの皆さんには叱られそうですが、ご紹介者とは疎遠になりながらも、それ以来ご夫妻とは心温まる親交が続いています。2011年、福岡で私が仕上げた民家のリビングで、50人あまりの聴衆の前でホームコンサートをひらいてくれました。東京で私の仕事のバネルを見られて、「これは貴方が作った建物か?」と聞かれ、そうだと答えると「ここでいつか弾いてみたい」とつぶやかれた言葉を私が聞き逃さず、図々しくもお願いしたものでした。以来博多では、おでんと焼酎を愉しむ仲です。人のご縁の不思議さをこの歳になるとよくよく感じます。こんな世の中だから、自身のフィールドで何かを訴え平和な社会を維持していく努力をしなければいられない。そんな姿勢が共感でき、自分自身の立場で私もまたそうしなければと心に誓いました。音楽も建築も、人の心に直結するものです。分野は違えども、アテフさんの想いは、私の仕事に大きな喝を与えるに余りあるものがありました。アテフさんご夫妻に深謝。
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| 音楽・アート | 07:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
中洲JAZZ断章...。
 昨日と一昨日の二日間、福岡の繁華街中洲は、毎年恒例の「中洲JAZZ」でジャズ一色に染まりました。市営地下鉄駅の構内もジャズが流れている徹底ぶりで、地元のジャズ好きとしてはしっかり根付いてきて嬉しい限り。一晩目は仕事であえなくあきらめましたが、昨日は夕刻までに予定を終わらせて中洲に急行、何とか最後の時間を楽しむ事が出来ました。中洲JAZZの二日間、中洲周辺の至る所に屋外特設舞台が設けられ、名だたるミュージシャンがそこでライブ繰り広げるのです。これがなんと無料、フリーなのです。貧乏学生時代、ランチを抜いてLPレコードを買い集めては聴いていたJAZZの祭典に心躍らないはずがありません。何とか間に合ったのは最後のエントリー、大御所トランぺッター日野皓正のステージ。御歳72歳だと言う彼は昔と変わりなく、それはパワフルなステージでした。オリジナルを新旧2曲披露した後に、近年の災害等で悲しい思いをしている方達が多いからと、スタンダードナンバーの「スマイル」そして、3.11の震災を忘れてはいけないという意味を込めて作曲した「NEVER FORGET 311」この曲の印税は復興支援のチャリティーだそうです。後半はフリューゲルホーンのTOKUさんなどが飛び入り参加しての楽しいステージとなりました。全曲終わり、メンバーもステージをおり、拍手が止まない中、彼はおもむろにトランペット一本でゆっくりと童謡「ふるさと」を一つ一つの音を観客に振りまくように熱く奏でたのです。また大歓声。秋風を思わせる涼しさの中で、夏の名残のジャズ三昧の夜がふけていきました。
 クリエイターはそれぞれの立場で、あの3.11を重く受け止めこの国を力づけ、国民総意の元気を望んで活動しています。今の政治家、わかってんのかなぁ...
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| 音楽・アート | 08:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
ジョン・レノンの命日と特定秘密保護法...。
 この夏に東京の娘から、カナダの短期留学先からニューヨーク観光に行った時に撮ったというダコタハウスの写真が送られてきた。「父、ここがジョンレノンとオノヨーコが暮らしていたところだって」「ダコタハウスだ」「父、さすが!!」考えてみれば、1980年、ここでジョン・レノンが銃弾に倒れた時には産まれてもいなかった彼女にしてみれば、既に史跡であり、多感な青年期に彼のショッキングな死と対峙した私などとは全く感じ方も違うのかもしれない。歴史は風化する。本日はジョン・レノンの命日。彼が今生きていたら、今の日本をどう評したろうか。
 折しも昨日、日本ではあの特定秘密保護法が成立してしまう。反戦、恒久平和を願いつづけたジョンレノンには、どんな法律に見えるだろうか。私は重苦しい思いとともにこの数日を送っている。心のどこかで、「イマジン」の歌詞が鳴っている...。
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| 音楽・アート | 07:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
アテフ・ハリムさんのこと...。
 私の大阪出張の当日に来福して飯塚でコンサートを開かれたアテフさんと、翌晩はようやくご一緒することが出来た。今夜のご気分はのリサーチに「もつ鍋」それではと一番ディープな楽天地にお連れした。最近は小洒落たコース料理を出すもつ鍋屋さんが増えたが、ここは昔ながらのもつ鍋しかメニューがない。ご所望がなければ絶対にお連れしないお店をアテフさんご夫妻も楽しんで下さったようだ。エジプトに生をうけ、パリでヴァイオリニストとなったアテフさんと、父親は愛媛の漁師町の産で母親は山梨は甲府の産である私とか、どこかで繋がっている筈もないが、お会いして以来不思議に他人の気がしない。おじいさまはシルクロードのキャラバン商人だったというから、もしかするとシルクロードの中間あたりですれ違った記憶があるのかもしれない。今回は残念ながら拝聴出来なかったが、6月に娘と東京文化ホールで聴いた表現豊かなアテフさんのヴァイオリンを思い起こしながら、もつ鍋の締めのチャンポンをすする髭だった...。ブラザーと再会出来た最高の夜。
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| 音楽・アート | 07:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
アテフ・ハリムさんのコンサートが月末に...。
 親しくさせていただいているヴァイオリニスト、アテフ・ハリムさんが月末に九州にやって来られます。11月30 日の土曜日、飯塚コモンです。とあるご縁で東京で出会って以来、アテフ・ハリムさんご夫妻とは不思議なご縁を感じます。アテフさんが、その時私が仕上げた住まいの写真をご覧になって、いつかあなたの作った空間で弾いてみたいと言って下さって、ホームコンサートを実現させてもう2年が過ぎます。あのときのアテフさんの言葉は、今思えば私に対しての最大のリップサービスだったかもしれない。ただ、私はそれが本当に嬉しくて実現させてしまったのです。それ以降、一杯飲むと「俺たちはどこかで兄弟だった」と言いあう始末ですが、笑、心の通う彼のヴァイオリンは本当に感動ものです。お時間のあう方は是非聴きに行って下さい。イチオシのブラザーアテフ・ハリムさんの音色をお勧めします。私の方でもチケット若干ご用意出来ます。ご連絡下さい。JUGEMテーマ:建築

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| 音楽・アート | 13:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
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