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メンテナンスは苦痛か...。3

 私の建築YA修行の原点は、京都での社寺建築会社の設計部がスタートです。何百年と風雪に耐えた建築の傍らにいた若かりし頃の時間は、まさにその後の自分にとって宝物だと思っています。何百年も維持できている社寺仏閣は、それでは元来メンテナンスフリーの素材で作られ、耐性のある鉄壁の建築か?と言われれば、その答えはNOなのです。昔のことですから、素材は殆ど天然由来の素材ばかりです。それを大切にメンテナンスをしながら温存しているということなのです。日本最古の斑鳩の法隆寺の廻廊に並ぶ美しい円柱を見て歩くと、半日でも一日でもそこにいたくなります。時の職能が、近しい木目の材木を切り出して、まるでパッチワークのように傷んだ部分を欠き取って埋木をしているのです。国宝と個人の住まいを十把一絡げにするわけにはいきませんが、本来の木造住宅のあり方も、そう言うものがベースだと思わないではいられません。

 建築は、メンテナンスが前提です。なるべく傷まない、メンテナンスしやすいという価値観の工夫は充分に必要ですが、メンテナンスフリーはあり得ない。もっと言えば、メンテナンスを愉しめるような仕掛けがなければならないのではないかと思います。高度成長期以降のスクラップアンドビルドは、建てては壊しですからメンテナンスの概念は抜け落ちています。また、「お金で買って消費する」という価値観に他なりませんから、メンテナンスが苦痛で損得勘定で言えば「損」なことになってしまいます。決定的にここから変えていかなければ、住まいは建てても幸福ではないのです。(つづく)

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| 住まいづくりのヒント | 11:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
メンテナンスは苦痛か...。2

 世に「メンテナンスフリー」という言葉がありますが、私はこの言葉の「嘘」を、このコラムでも何度も語ってきています。見掛け上の、当面の、というひと言を添えれば、何となく成立する言葉かもしれませんが、未来永劫メンテナンスしないで済むものなんて、そもそもある筈がないのです。住宅は50年、100年と言うかスパンで考えるべきものだから、尚更のことです。例えば、「住まいは20年持てばイイ」と割り切ってしまえば、その間のメンテナンスフリーはあるかもしれません。しかし、この言葉に魅力を感じる人で、そこをふまえて理解している人は皆無ではないでしょうか。提供側が20年の期限付きだと思いメンテナンスフリーをうたい、需要側が永久だと思ってそれを理解すれば、自ずとそこには「悲劇」しか産まれないのです。

 私のように実も蓋もなくそこを語れば、商売にはなりませんが(笑)真実はひとつだと思います。日本人は本来、根底に諸行無常の境涯を内包していて、物事は永遠に不変のものなどなく千変万化していくと言う概念は共有できるのだと思います。自然界から私的な空間を切りとって巣としての安心を頂くのです。それが少しでも永らえるように、手入れをしていくと言うのが「メンテナンス」ですから、本来はメンテナンスもまた愉しにならなければ嘘なのだと思います。いつの頃からか、「家」は買うものになり、一旦買ったものには保証がついていて、少しでも長持ちしなければ「損」。メンテナンスは費用負担がかかるだけの「苦痛」なものだから、メンナンスフリーなものを使ってほしい。そんなことになってきてはいないでしょうか。

勿論、プラン上、素材のチョイス上、メンテナンスが容易なように工夫は必要だと思いますが、そもそもメンテナンスが苦痛なものになってきてしまっている住まいづくりは、何処かねじ曲がってしまっているような気がしてならないのです。(つづく)

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| 住まいづくりのヒント | 11:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
メンテナンスは苦痛か...。1

 先日福岡で行われた、オーストリアの建築家ヘルマン・カウフマン氏のセミナーは、私にとっては久々に清々しいものでした。主に木を素材として、大小沢山のプロジェクトに携わる彼の仕事は、まさに木を木として活かしきるというものでした。ファサードに無垢の木を晒し、無塗装でその表面の経年変化をも愉しむという方法論は、かつての日本人もしっかりと持っていた価値観であったと私などは確信します。カウフマン氏は、ファサードの所々にビビットな色彩を用いるのも、やがて木部がグレーに変色していった時に浮かび上がるようにという想いの現れだと解説されて何だか嬉しくなってしまいました。

 「建築」とは、凍れる音楽と誰かが宣いましたが、私はあえてここで、本当は凍ってなんかないと言ってみたい。鼓動を打って脈々と時を渡り変化しつづけていると言いたいのです。木材と言う素材を使う私たちは、少なくともそういう感覚をもっていなければならないと思うのです。カウフマン氏は、木材をCO2固定の再生可能な素材として、少なくとも80年と言うスパンで使用すると言われました。私も普段、リアルな住まいで使う3寸5分の柱は最低50年の時を経て育つから、その更新期間もそれくらいのスパンで考えなければならないと言うお話をします。つまり最低50年は持たなければ、木を木としてきちんと使えていないと言うことになります。そう思えば、今の20年更新のスクラップアンドビルドの繰り返しに森の木が使われ続けるのも何だかなあなのてす。今回は住まいが長持ちする為のお話です。(つづく)

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| 住まいづくりのヒント | 07:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
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