昨日からずっと九州の上を線状雲が停滞して、各地に豪雨をもたらしている。数年前の北部九州豪雨を彷彿とさせる。あの時も酒米の田植えから1週間ほどしての豪雨だった。今年も田植えを終えたのが先月の25日、暦的には符合する。
数年前から、日田の造り酒屋の田んぼの酒米作りをお手伝いさせていただいている。杜氏の百合さんはかつて私の本業のクライアントだが、彼女が帰京して酒造りを始められて以来、そのサポートのお仲間の末席を温めている。この田圃への恋慕の念はそこはかとない。笑。とにかく気になる。たかだか田植え・稲刈りを少々お手伝いしたくらいで、何がわかるというわけではないが、この田圃が愛おしいのである。農業が暦との会話であることは自明のことである。そろそろ田植え、着床したか、大雨が来る、台風だ、稲が倒れた(酒米雄町は随分食米より背が高い)、刈り取りはいつくらいかと話題が尽きない。杜氏の百合さんに先日稲の倒れ止めの方策を提案していたら「あなたは十分、従事者です」と笑われた。
そんなママゴトのような私の経験をもっても、かつて農耕が当たり前の生業だったこの国の人々は、もっと自然のうねりをリアルに感じ、一喜一憂し、自然に畏敬の念をもって日々を送っていただろうことは想像できる。国民の大半がそうであった時代から、いつしか土建立国と言われるほどに土地の隅々までコンクリートで固めては、それで「経済」を活性化させる国になってしまった。土に触らない日々を送る人が多くなりすぎている。その是非をつづる能力は私にはない。ただ、土を触る感覚はもっと蘇らせるべきだろうと思う。土に触ると人は元気になる。
地球温暖化は確実に、緩やかな優しい気候を年々激化させている。「災害」と一口に言うが、これは本当に天災なのだろうか。雨音で、音楽もまともに耳に入らない。そんな夜にあの田圃を想いながらこの稿を綴っている。
JUGEMテーマ:コラム
◆↓読まれたらココをポチッとお願いします!