30年もこのスタンスで仕事をし続けてきたのですから、残りの時間を考えても、今更方向転換など叶いません。私は愚直にただ住まい手の最良の空間を求めて直向きに取り組んでいく事しか出来ません。もっと効率を良くとか、瞬間的な採算ベースに乗せてなどとも考えますが、お客様の住まいづくりとして少しでも採算ベースに乗せてと思い、もがけばもがくほど、自分の採算ベースが危うくなってくるのですから始末に負えません。笑。ただ、そこに私たちの存在理由があるのかもしれないと思ったりもするのです。京都で垣間みた伝統建築の世界は、誰がこんな仕事を見て喜ぶのかと言うようなスタンスでは仕事をしません。依頼人に及ばず、「後世の人」とひとくくりにして、遠い未来にも想いを馳せてものづくりをします。住まいづくりとて、そう言う視点は必要かもしれません。依頼人である住まい手自身のためである事はもとより、後世住み継がれる方のため、またその住まいがそこに存在し続ける事による社会の意味や貢献度、色々な事が良くなる方向へと考えながらものづくりするべきなのではないかと思ったりします。先日イベントで、20年前の仕事を再びお披露目して皆さんに褒めていただく機会がありました。日々の苦労も解けていく至福の時間でしたが、やはり私は、愚直にそう言う仕事の仕方しか出来ないと確信した瞬間でした。古い仕事のメンテナンスやご相談に、最近「家守り」という言葉を造語して使っていますが、私の仕事はまさに一つ一つ新しい住まいを創造しにながら、かつての仕事の家守りをずっとしていく事だと思います。住宅業界は、しばしば「手離れ」という言葉を使いますが、一旦創りだせば、手離れなんてないんです。もちろん、経済行為としての住まいづくりには区切りはありますが、その後は、住まい手とのエンドレスな人間関係が続いていくのです。この愚直な仕事ぶりで、どこまで生き伸びれる事かは神のみぞ知るですが、やはり、私は愚直に建築YAであるのです。(おわり)
JUGEMテーマ:建築