そこで、一転今ここで「人は住まいをどうして建てたくなるのか」という根源的な衝動を考えると、大切にしなければならないものはなんだろうという再考が始まります。それを進めていくと、実は今、現実に立ち塞がる問題
となる急激なコスト高と性能向上は大切な要因ではありますが、一言で言い切る「性能とコスパ」だけに注視しすぎるのも、果たして解決に向かうものかと思えてくるのです。「人は住まいをどうして建てたくなるのか」と反芻していくと、確かに「性能とコスパ」は立ちはだかる大きな問題なのですが、住まいづくりを根源的な衝動を満たす術だと思えば、整理しなければならないのはもう少し手前の部分かもしれないと思ったりするのです。
「人は住まいをどうして建てたくなるのか」を、もっともっと真摯にそれぞれの立場で考えていかなければならない時代に入ったと私は想います。(おわり)
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例えば、親御さんから譲り受けた土地があるとか、全体コストのうち一定割合は過去に貯蓄した自己資金があるとかこれからはそこからがスタートだと見るべきだと想います。(つづく)
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高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史から見れば極めて稀有なことで、むしろ、とてつもなく恵まれた良い時代を私たちはこれまで過ぎてきたのかもしれないのです。ここまでを、類まれなく恵まれた時代だと俯瞰すると、これから来る難しいと時代も、甘んじて受け入れるしか無いなと達観しますが、少なくとも、安かろう悪かろうにはもう絶対戻れませんから、私たちはより懸命な、質の向上と少しでもコストダウンできる知恵を両輪として矛盾なく取り組んでいかなければならないのだと思ったりします。
今の所、私の中に明快な公式があるわけではありませんが、仕事の中でも、少しでもという質の向上とコストダウンの検討を繰り返す日々が続いています。例えばいつか経済が浮上して、賃金が爆上がりするとか、将来、長いトンネルの先に光明が見えるのかもしれませんが、一進一退の悪路はしばらく続きそうです。(つづく)
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その上、最近は在宅勤務やオンライン授業などで、自宅滞在時間も大幅に伸びたからなのか、住まいの室内環境に関しての意識が高まるとともに、さらにはエネルギーコストの爆上がりも後押しして、住まいそのものの性能も大きく取り上げられるようになりました。この要因はアップグレードですから、ただでさえ、コスト高が悲鳴をあげそうなのに、ニーズは高みを望み始めているという二重三重のコスト高の住宅業界なのです。
おそらくは、新築住宅は少しばかり高嶺の花という座を手に入れて、全体のパイは今後大きく縮小するのでは無いかと思われます。その上で、性能はもとより、快適性に関してもハイグレードのものが生き残るのは自明のことで、今までの性能がのぞめないハリボテのような住まいは淘汰されるのではないかと思います。来春から、様々な法改正で住まいの性能も加減が定まり、即するように義務化が始まります。ただ、時の徒花として、一時的には基準値ギリギリで省エネを謳ったり、快適を喧伝するようなものが出てくるのかもしれませんが、長期的に見れば、総数は今後激減して、質は上がっていくと見るのが順当な予測かもしれません。(つづく)
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住まいを買うものから、少しずつ紡いでいくようなものにしていくことが、住まいづくりがどんどん難しくなってきている近年の状況の改善へのヒントになるのではないかなと思ったりします。完成品を買って、せっかくとんでもない投資をしたにも関わらず、借り物のように暮らす、あるいは世間一般のいう常識という範疇に囚われて、自身の方を空間に馴染ませて暮らすということにならないように、厳しい時だからこそ考察していくことが良いのではないかと想うのです。
住まいづくりはまさに大きな転換期にあるのではないかと思います。温熱性能に全く無頓着なこの国にあって、私は数十年その改善を望み高性能住宅の普及と実戦に向かってきました。私の行いなど影響はほとんどないでしょうが、想いは幸運にも時流に乗り、来年の性能義務化の法整備、一般の方への認識の普及もずいぶん改善してきたなと実感があります。さて、経済が伸び悩み、コロナと戦争で流通が壊滅的なダメージを受けて、建設コストが急激に上がってしまった今、どうしていくかということを想う時、必ずしも今の方向性だけで良いというわけではないので、自分なりの動きわしていきたいと今想っています。時代が変わる時には、徒花のように突然わっと広まって、すぐ消えていくものも多く散見します。これからが正念場、住まい手のための住まいというものをしっかりと考えていきたいと思います。(おわり)
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そもそもひとの住まいというものが、住宅産業などと言われ始めて、内需の大きな柱になって国が拡大支援するほどの業態になってきたこと自体が異様なものだったのかもしれませんが、それもこれからは一個人の価値観がしっかり育っていけば、それほどの規模でなくてもしっかりと価値あるものを創り出す業界になっていくのかもしれないなと思ったりします。すでに、数的にも余っていて、無理やり量産する必要のない時代なのですから、ここは大きくシフトして、住まいづくりを再構築していくべきなのかもしれません。戦後の数が勝負の時代に住宅メーカーが生まれて業界を牽引してきて、今は数余りですでに必要ないのに、まだまだこの流れを続けようとしている感じが否めませんから、ひとつひとつ変えていくべきかと思います。
住まいは完成引き渡しが終わりで、あとはどんどん目減りしていくという価値観ではなく、むしろ始まりだという感覚が必要かと思います。要するに、消費するとしう経済行為ではなくて、その先もずっと続く育んでいくような感覚の住まいづくりをしていかなければならないのではないかと思います。現代人はあまりにも、消費に慣れすぎました。(つづく)
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最近は、YouTubeなどの媒体を通しての発信がにぎやかで、ただその情報もカオス化していますから、何が正しいのかがわからない時代になってしまいました。長年の研究者や実務を積み上げてきたプロもいれば、これは商売になるとPRを巧みに内包した営業的な情報すらも一律に皆さんのスマホには現れてきますから、そのジャッジは自分以外にないので、専門外の人が専門分野の真贋を判断するという変な状況が生まれています。私には、どうにもここのあたりがあまり良い方向へ進んでいないのではないかと危惧している部分があります。体温を感じる人同士の生のコミュニケーションであれば、なんとなく些細なニュアンスから計り知ることが叶うのですが、スマホの画面情報はフラットすぎてそれが叶いません。便利なようでかえって…ということはあると思います。
そういう落とし穴というか、利便の盲点のような弊害は、やはり「消費」という完成品をお金で買って消費するという価値観一辺倒で近年この国が進んできたが故のことではないかと思ったりするのです。住まいの質という部分でも、やっぱり消費文化の台頭とともに悪化してきたような気もします。逆にチャンスと捉えれば、これから大きく住まいづくりを変えていく起点なのかもしれません。(つづく)
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私はずっと一個人という軸で住まいを創造します。一個人の寄り合いが家族であり社会であり国だと思うからです。平和を切に祈ります。(おわり)
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この国でも、ネットに沸いているニワカ右翼のおじさんたちは、国家観を語り、他国よりも自国が優位である根拠をあれこれ掘り出して、勇ましさばかりの言動が目立ちますが、一説によると一個人として、努力したにも関わらずあまり社会的に評価されずに恵まれなかった世代の持つジェラシーの裏返しだとありましたが、まさにそういう発言を繰り返す人たちを見ていると、一個人の扱いが少しばかり乱暴で、全体主義のお先某を担いでいる自分が、紛れもない一個人であることを忘れているような感じがしてしまうのです。何か強いものに帰属しなければ、自分というものを保てないというのは実に悲しい状態ですが、国家や民族を声高に語る人には、なんとなくそういう人が多い気がしてなりません。私はこの国に生まれて、この国の人で、この国にルーツを持つことをありがたく思います。それは否定しません。しかし、それを他と優位に区別することや、特別なものだと主張するのは、この地球上で絶えない争いごとの種になりかねないのような気がしてならないのです。
アイデンティティーを持つことは大切ですが、唯一無二のものを他と比較する必要はなく思います。むしろ、他を認めるところから自分のアイデンティティーを理解する方法はあるように思うのです。(つづく)
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イスラエルとパレスチナのニュースが緊張の中刻々と伝えられています。遠い国のお話と、ソースを寸断して仕舞えば何も感じずにそれまでですが、民間人の犠牲者が著しい悲惨な戦争状態がこの地球上でいまだに起きていることを思えば、心穏やかにというわけにはいけません。宗教戦争だというのならば、なぜに人を幸福に導く宗教の違いが争いを産んでしまうという矛盾は許せませんし、大国の勝手都合に踊らされているというのならば尚更に、罪のない民間人の命が脅かされるような愚行は直ちにやめてほしいと思います。私たちのように、ものづくりをする者にとって、破壊と殺戮は正反対の愚行であって、許されるものではないということを私たちの立場で言い続ける必要があると思います。焦土と化して、住まいを追われて瓦礫の中に茫然と座り込む親子などを目にすると、まさに住まいづくりというものは、平和な世の中でしか成立しないものです。住まいを語る前提として、平和であることが条件なのです。なかなか厳しい時代に突入ですが、今回はそんなお話から…。
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さて、世の中の流ればまさに近々の課題としての本当の省エネを渇望しているのだと思います。今回の私の項は、その省エネという指標のみで住まいを語るのは本来の目的に向かわないというようなことを語りました。ただ、あくまでも省エネは、私たちの未来を明るいものにしていく直近の課題であることは間違い無いですし、むしろもっと本腰でやらなければということを踏まえてのお話をしました。おそらくこれから、いやもうすでに、「省エネは」形骸化したワードのように使われて、目先のその数値のみで住まい全てを語るような風潮も見え隠れしてきています。本来、私たちは暮らしの中で、ストレスのない快適な住まいを求めている。そのためにはエネルギー消費をする。環境負荷や、光熱費の観点から、ここは「省エネ」となってくるわけです。このような順序で考えてみれば、省エネと快適の狭間で戸惑うことはなくなると思いますし、上っ面の省エネにも騙されないかもしれません。より良い住まいづくり、永遠の課題です。(おわり)
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快適性を望めば、巷の省エネ住宅も基準値ギリギリのものはかなりの割合ですでに陳腐化して見えてくるし、そもそも字面だけの省エネが、これからもかなりの割合含んでいると言わざるを得ないのです。そのあたりはこれから注意深くみて行かなければならないと思います。「省エネ」という言葉を冠に掲げてできている住まいが、実際に暮らし始めているとなかなか実感がないというようなことでは看板に偽りありとなりますから。(つづく)
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最近の傾向ととして、光熱費の高騰から省エネが叫ばれて、とにかく省エネな住まいが良いと、発信がお得意なYouTuberさんたちからの知識よろしく、プロはだしの数値データで住まいづくりを検討される方が増えてきた。決して悪いことではないし、全体のボトムアップはこれから必須であるから、作り手も消費者もそういう息市が高まっていくことは大変望ましいことだと思います。ただ、私たちが最初に断熱だ気密だと言い始めた頃、私の関心事は省エネよりもむしろ快適性で、「九州は暖かいから」と言われながら、暖房装置のない校舎で震える授業を受けた経験値から、むしろ寒冷地の温度の整った住空間に憧れて、それを九州に輸入しようと必死だったように思います。まぁ、結果的にはそれが大きく省エネにつながるのですが、どこから始まるかで、できてくる住まいもなんだか変わってくるようにな気がして仕方ないのです。
出来上がった住まいに、住まい手が暮らし始めた時に、何を想うかということは大変重要だと思いますし、私などはそれを夢想しながらいつも住まいを考えています。さて、インフルエンサーたちに導かれた省エネ住宅への道がこれからどう展開していくのか、少し考えてみたいと思います。(つづく)
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かつての省エネの考え方は、完全に冬が基準となっています。その成り立ちは、北海道にエアコンがまだほとんどなかった時代に始まっている。北から順番に、温暖地に降っていくほどに、断熱材は薄くていいよという基準は、夏のことが考慮されていないのです。来年の性能義務化の九州での性能は、この冬を基準にした場合の基準です。本来は、夏のことを考慮して、酷暑のエリアではさらに気密・断熱性能を上げて、小さなパワーのエアコンでも十分室内環境が整う性能にして行かなければならないのだと思います。夏は、躊躇わず冷房を使ってくださいと、宅内熱中症予防の警告が目立ちますが、そうするのであれば、性能アップは必須で、冬目線の基準ではまだまだ省エネとはなりにくいことは自明のことです。
実りの秋、芽吹の春はごくごく短いものになってしまって、年中冷房か、暖房を使用しなければ室内環境が保てない過酷な気候になりつつあることは否めません。ここは、より高性能に上げていく機運が必要なのかもしれませんね。(おわり)
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要するに外と一体になれる開放型の住まいに断熱性能を与えると、ある程度冬の快適性が改善されることは確かです。そして中間期から夏は外と一体化して、建物内の熱を逃し、通風を取れば凌げていたのが夏場でも30℃あたりまでの温度帯だったかつての夏だったと思います。つまり、これまではそれで良かったのですが、これからの夏はどうでしょうか。今年も優に35℃を超えて、体温越えする日が頻繁に訪れるような夏でした。外部が、体温越えをする事態は、これまで想定していなかった状態と言わなければなりません。開放型の住まいの場合、どうしようもないのです。そしてその解放型の住宅を冬のために気密化して行く方向ですから、今度は内部の熱も逃げません。そうなれば状況はかなり深刻で、色々なことわをしっかりと整理していかなければ、悪烈な室内環境を創り出してしまいそうでならないのです。
この状況下で、だからかつての夏向きの開放型が罪がないというのもナンセンスです。冬は震え上がる室内に逆戻りですから、やはりここは、さらなる進化をしていかなければならないのです。(つづく)
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この数十年、エネルギー消費の軽減を目的に住まいの高性能化が進んできましたが、ことの始まりは暖房経費の軽減にありました。だから壁を断熱材で満たし、窓ガラスをペアにして性能が上がったと言われてきたのです。プランや形状は、かつての開放型の住まいのままであることが多く、吐き出しの引き違い窓を多様した外と一体にすぐなれる住宅です。今も、この流れのまま高性能が語られている場合が多いようですが、これからの気候に対応するには、もう一歩進める必要があるようです。(つづく)
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このところの朝晩を見ると、暑さ厳しかった夏も終わり、いよいよ秋から冬へと大きくシフトチェンジする季節の到来となるのかもしれませんね。10月に入り衣替えも躊躇うほどでしたが、いよいよのようです。そう考えると、昔に比べると秋の清々しい空気感の季節や、春の芽吹きの気持ちのよう季節というものがどんどん短くなっているような気もして、なんだか四季というよりは、夏季と冬季の移行期間の「ちょうど良い」中間期という時期が激減して2つの激しい季節のエリアになりつつあるのかもしれないなと思ったりします。
台風すぎて、秋めいて、みのりを楽しんで、晩秋から冬に向けて準備わするといった間合いがないのです。住まいで言えば、冷房時期が終われば図具に暖房時期が訪れるると言った具合です。大きな変化が数年単位で起きている感じなのですが、そういう激しい変化に、私たちの頭も体もなかなかついていけずに、ストレスを感じている方も少なくないのではないかと思います。中間期がなくなってきているこの季節の巡りを考えます。(つづく)
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今年の夏は本当に暑かったですね。省エネや断熱という言葉が飛び交い、世の中は住宅の性能を一気に上げようという機運の中にある夏でしたが、この部分の認識について誤会話しないようにしなければならないなと、長年こんなことをしていた私としては注意深く見守って行きたいと思うのです。というのも、この国の住宅性能の向上はもう何十年も前から主に北海道から始まりました。かくいう私もこの分野の最初の先生は北海道だったんです。つまり、70年代のオイルショックに始まり木造住宅にも断熱という手法が取り入れられて、最初は結露との戦いによる試行錯誤があって、今の高性能住宅の基盤ができます。当時は「高気密高断熱住宅」という言葉が使われていましたが、気密という言葉にアンチイメージを持った方達の抵抗もありました。ただ、ここがこの国の今の高性能住宅のスタートなんです。この時の私の発願も「福岡は九州といえど寒い」という感覚でした。だから、寒冷地に学び始めたのです。それから数十年を経ての今があります。気候帯も実感としてずいぶん変わった感がある今、当時の延長線だけでは、不具合があるように思えるのです。(つづく)
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福岡の昨夜の中秋の名月は、満月も重なって大きく優しいひかりに満たされてそれは美しいものでした。
熱い夏ももう終わり、これからは少しずつ冬に向かっての季節と移って行きます。厳しい夏の次には冬も厳しいという傾向もあるそうですから、今年は寒い冬かもしれません。さて、住まいづくりもなんとなく寒さ目線の住まいづくりに移っていって、従来の「断熱するとあったかい家になる」というなんとなくのイメージが伝わりやすくなるために、そういう感覚での住まいづくりの季節到来とも言えるのです。さて、これまではそれでもよかったのですが、近年の目夏のことを考えると、少し注意しなければならないというお話です。私たちの居るエリアで言えば、もはや冬よりも夏の方が制御が難しい気候になりつつあるということなのですが、そのメカニズムについて少しお話ししようかと思います。(つづく)
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好きが高じて学生時代から入れ続けてきた珈琲ですが、どこかで学んだわけでも資格があるわけでもありません。みなさんに髭の珈琲が美味しいと言っていただけるのですが、果たして語れるかという部分では不安もありました。ただ、風の時代はフラットに個の時代、それぞれが得意なことをワイワイと語りながら共有することに意味があると今回挑戦しましたが、やってよかったです。皆さんすごく納得してくださって、テイスティングも共有できました。また太田さんの数秘は、単純に占いの域に収まらず、無不安定な世の中で自分で計算しながらタイミングを測るツールとして面白い内容。午後からの個人鑑定も空き枠に飛び入り参加をしていただいたりご好評でした。後刻ご参加の皆さんからお礼のコメントまでいただいてありがたい限りです。次回は11月23日を予定をしています。これからもまた、よろしくお願いいたします。
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スマホから垣間見るネット情報はまさにカオスで、そのカオスを個人レベルで取捨選択しながら情報を取って行く時代になったんです。あらゆる常識が、あまり根拠のないもののように見えることも多くなりましたし、これからは、大海原に一個人が立っていく逞しさが必要なのかもしれません。そう言う意味で、住まいも、お隣さんと同じである必要はもうないと思います。タイニーハウスのような小屋レベルの規模の住まいを選択してシンプルに暮らす人も増えるでしょうし、さまざまなスタイルがあるように思います。家族という一単位も再構築の機会かもしれません。色々な常識をと瓦解して、新しいものが生み出されて行くのではないかという気配もします。ひとつひとつ、再構築を試みたいと思います。(おわり)
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最近、そんな中でなんとなく「暮らし」の一々を見直しながら生きるということを、少しでも進めたいと思っているところがあります。衣食住という私たちを取り巻く環境も、社会のあり方に連動して、少しずつ変わらざるを得ない気もしますし、ただ、流されていくのではなくて、自分なりの暮らし方を少し考えたいと思ったりするのです。最近、歳の近い知人たちと、そういう話題で話すことも多くて、なんだかこれから変化していく「風の時代」に向けて、大きく様変わりしていく予兆なのかもしれないねと話します。すぐに何が変わるというわけでもないのかもしれませんが、少し考えてみたいと思います。(つづく)
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住まい手に愛されて、手入れをしてでも長くそこにあろうとする住まい。これからは、そんなピジョンで住まいづくりをしていきたいものです。(おわり)
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なんとなく汎用性のある住まいは、万人向けということで購買意欲を掻き立て、消費する住まいとしては良いのかもしれません。ただ、もうそういう時代は終わりを告げようとしています。むしろ、住まい手の日々の暮らしを心からサポートしていくような、そんな住まいをと考えると、より住まい手に寄り添った個性あふれる住まいにしていくべきだと思います。汎用性がなければ、次世代に住み継がれないのではないかというお話になりますが、私はそれは真逆だと考えるのです。(つづく)
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そんな中で、先ほど述べた比較的安易な理由から始まる住まいづくりがなくなってきて、住まい手の思いのこもった住まいづくりができていけばいいなと思いますが、このコスト高の中で、その思いを具現化することはなかなか大変な状況になってきていますので、適正な取捨選択の中で今までよりより密度をあげた住まいづくりが求められていくのだと思います。安易にコストのせいにして中身の希薄な住まいが立ち並ぶことだけは避けいいと思います。量産型ではどうしてもそちらに苦走りがちな傾向がありますし、そこを住まい手にご判断いただいてそちらに走らないようにするのは至難の業とも言えますが、こういう鵜時代だからこそ、もうそういう時代でもないという言い方もできるのです。
トータルでコストバランスを区考えても、自流で2、30年単位で廃棄する住まいを建てる時代ではありません。むしろここはじっくり取り組み、50年、100年の計で取り組むべきかとも思います。このコスト高に、省エネや耐久性、素材などを妥協しないとなれば、いよいよ条件は過酷になっていくのですが、もしかするとそここそが問われているのかもしれません。そもそも住まいとはそういう者なのですから。(つづく)
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周囲の穏やかな気候風土となんとなく折り合いをつけて情緒豊かに暮らしてきた日本人だからこそ、なかなか切り替えがむずかしいですが、
熱をコントロールしながら生命を守る暮らしに切り替えていくフェーズに入っているとも言えますので、かつてのイメージをもっと大きく進めて、住まいづくりをしていく必要があるのではないかと思うのです。(おわり)
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室内の環境は、内部発熱と、外部からの影響をどれくらい受けるかという要素を踏まえて、人間が暮らす環境に最適な温湿度に「空調」で調整していくというプロセスを経て整えていきます。今まではあまりこの調整ができずに、外部に追随する室内環境だった。これがコントロールする空間に変わっていくのです。基準は歓迎するべきことですが、認識と運用をしっかり考える必要があります。熱を溜めやすくなる空間で何が起こるかということです。(つづく)
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ようやく、少し涼しく感じられる朝晩がやってきましたが、例年よりはまだまだ夏を引きずっているような気がします。これで一気に秋めいて肌寒くなるのかと思うとちょっと恐怖ですが、この夏の冷房は暮らしの必須アイテムとなってしまいましたね。エアコンが苦手だという方もたくさんおられますが、室温を下げなければ命に関わる状況ですから、使わなかったと言われる方はおられないのではないでしょうか。問題は、その住まいの中で何台のルームエアコンが稼働していて、屋外の室外機が何台回っていかというお話です。弊社ではいつも想定を一台と定めて、効率のことを考えて冬用に一台夏用に一台を設定して、どちらか一台が稼働しているのが通常運転、万が一の時は2台で稼働という想定が一番多いのですが、一般的に各部屋に一台ずつなどという想定がまだまだ多いのではないでしょうか。
これは何が違うかというお話なのですが、端的には建物の外皮にあたる部分の気密性能、断熱性能に他なりません。来年から、省エネ補と改正に伴い、性能の下限が定まりますが、それに追随するように例年の猛暑です。いやあ性能か背圧倒的に足りない。そんなお話です。(つづく)
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夏目線で考えた場合、日車遮蔽や断熱強化をもっとしなければ実際の省エネには結びつかず、夏にはかえって不快だという状況すら作ってしまいかねないということを心配しています。これからまったく未経験の業者さんたちも、新省エネ基準に乗っ取ったと威張って省エネ住宅を作り始めるのですから、このトラップだけはなんとか避けなければならないなと思います。省エネ基準はボトムアップ、底上げです。下手をするとこの酷暑ではいたしかえしの状況を生みかねません。基準よりもハイグレードであるべきことは自明のこと、実質にあった性能の選択をお勧めいたします。(おわり)
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今でも時々ビルダーの営業さんなどが使う最悪の言い回しがありますが「ここは九州ですから、そこまで断熱はいりません」とか「この程度で十分」などという根拠のない発言は、これから悲劇を産まなければ良いがと思わないではいられないのです。(つづく)
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一方、来春からこの国は重い腰をやっと上げて、住まいの省エネ基準が義務化されます。まあ第一歩ですから俯瞰すると大変喜ばしいことなのですが、私はこの流れに少しだけ心配をしています。基本的に、その基準がかげんを表すもので、決して満足できるレベルではないことはこれまでもお伝えしてきました。要はあまりにもひどい熱性能の住まいが亡くなるだけで、底上げの期待はできるというレベルなのです。では、何が危惧されるのかということをお話ししましょう。(つづく)
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喉元過ぎれば、と言いますから実りの秋が来て美味しいものでも食べていると、この夏のことも忘れてまた次の夏までを繰り返してしまいがちです。ただ、近年の本当に激しい変化に、私たちは今、対策をしていかなければ命に関わるレベルのことになってしまっているのですから、大変です。夏が過ぎていく今、少しクールダウンしながら、この厳しい夏を振り返ってね来年の夏に向けてのお話をしようと思います。(つづく)
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住まいは、そこの住まう人が、帰宅してホッとしてニュートラルに心身を戻して、明日への活力を得て明日へ繋げることができる時間を寡黙にも淡々とサポートしてくれるそんな空間であるべきだと思います。(おわり)
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行政の仕組みや不動産の所有の問題などで、簡単に行かないところも多々あるかもしれませんが、印象としては皆さんの頭の中に浮かぶ想像の方がはるかに進んできているように思えたりします。家族といえば、社会制度の縛りの中で言われる「型」のお話ではない時代が来るのも、近いかもしれません。(つづく)
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かつての大家族主義の家族は、生まれながらにしてその人の位置付けが自ずと決まっていて、家父長制度色恋なかでよく言えば、守られている。悪く言えばがんじがらめに縛られているイメージの中に個人があるという感じだったのかもしれません。戦後の高度成長期は、ある意味その縛りを大きく緩めて、都市部への人工流入は家族という単位を各家族まで小さくしました。そして、土着の感覚をも希薄にして、私たちを少しばかり不安定な社会に放り出したということができるかもしれません。その後のバブル崩壊以降の経済の衰退は、いよいよ私たちに浮遊感を与え続けて、今では核家族という最後に残ったつながりをも、小さなスマホ一台に残して機は気にしていく傾向にあります。独居の老人が多数出てきたことは、ある意味当然の流れで、もはや家族という単位で暮らすことから外れた、ライフスタイルが生まれ始めているということなのかもしれません。個人単位の暮らしは、私たちを大きく自由にしたということもできるのですが、孤独感や寂寥感との引き換えだったということもできるのかもしれないのです。社会は安定して、独居にも支障がないインフラが整っていると言えなくもないのですが、それでは埋めきれない部分をどうしていくかということが課題にも感じられます。(つづく)
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かつて土着して何代も何代も定点に暮らし、一族で大家族を形成してきた日本人の社会は、ムラを形成し、ともすると国家観までその延長線上で気そうすることが多い状態でした。功罪ありますが、世の中はどうどん個人ベースの価値観が尊ばれる時代にフェーズが移ってきている感じがします。そんな中で「家族」という言葉について少し考えてみたいと思います。(つづく)
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