2006.04.27 Thursday
法隆寺
奈良の斑鳩法隆寺(いかるが・ほうりゅうじ)は私の心のふるさとと言っても過言ではない。これまで何度となく訪れている。現世での血縁は何処を探しても見当たらないが、奈良時代に思いを馳せ、初めて斑鳩の地を踏んでからというもの、すっかり虜になってしまった土地だ。この19日、古代檜の円柱に、「みんな大スキ」という落書きが発見されたと各メディアが報じていた。ご存知の通り、法隆寺は世界最古の木造建造物。世界遺産てある。その、おそらく古代の工人たちが槍がんなを用いて微妙に丸めていき、柱頭と注脚部を少し絞った絶妙のプロポーションを持つ柱に、である。「みんな大スキ」悪い言葉ではない。知ってか知らずや博愛の精神に満ちあふれたその言葉は、「和を以て貴しとなす」聖徳太子ゆかりの1200年の歴史に対して刃を向けてしまった。誰がどんな思いでそれを柱に記したのかわからないが、おそらくは、事の重大さなどの判断をする知的基準を持ち合わせぬ我々と同じ日本人の犯行だと思うと、切なくて涙が出てしまう。最近この種の事件か多いという。問題は、犯人ひとりにはなく、こういう事が平気でおこる日本というこの国のありようなのではないだろうか。
すっきりと晴れた日などに法隆寺の参道などを訪れると、私は心の何処かで、室町以降に完成する日本独自の文化ではなく、大陸から吹く風とともに極東のこの都に吹きだまった当時の国際的な空気を感じる。そして気持ちが大きくなる。寺内の宝蔵院に安置されている百済観音像はいつも懐深い優しい笑みを投げかけてくださって、その掌に遊ぶ凡夫としてはすっかりリラックスしてしまうものである。法隆寺は最近ではその建立年代の特定が一度焼失した再建論で確定しつつあるので、聖徳太子の存命時代とはずれる事がわかって来ているが、いずれにしても日本に仏教という新しい文化が様々な人・もの・事と一緒に大陸から押し寄せた時代の記念碑である事は間違いない。
当時、奈良の都の朱雀大路にはおそらく様々な言語が飛び交い、肌の色や風俗の違った人々が行き交い、人々はそれをあまり不思議とも思わず、むしろ新都の陽気な風物として賑やかな空気に包まれていたのではないだろうか。
「みんな大スキ」重ね重ね、良い言葉ではあるが、スキという前に、相手を理解しなければならない。我が儘なスキは、自分の事がスキだと騒いでいるようで幼稚でならない。昨今の隣国、韓国・中国・北朝鮮との微妙な関係と、今回の落書き問題はあながち無関係でもないような気がしてならない。聖徳太子の言葉だと言う「和を以て...」噛み締めなければならないと思う。