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法隆寺

 奈良の斑鳩法隆寺(いかるが・ほうりゅうじ)は私の心のふるさとと言っても過言ではない。これまで何度となく訪れている。現世での血縁は何処を探しても見当たらないが、奈良時代に思いを馳せ、初めて斑鳩の地を踏んでからというもの、すっかり虜になってしまった土地だ。この19日、古代檜の円柱に、「みんな大スキ」という落書きが発見されたと各メディアが報じていた。ご存知の通り、法隆寺は世界最古の木造建造物。世界遺産てある。その、おそらく古代の工人たちが槍がんなを用いて微妙に丸めていき、柱頭と注脚部を少し絞った絶妙のプロポーションを持つ柱に、である。「みんな大スキ」悪い言葉ではない。知ってか知らずや博愛の精神に満ちあふれたその言葉は、「和を以て貴しとなす」聖徳太子ゆかりの1200年の歴史に対して刃を向けてしまった。誰がどんな思いでそれを柱に記したのかわからないが、おそらくは、事の重大さなどの判断をする知的基準を持ち合わせぬ我々と同じ日本人の犯行だと思うと、切なくて涙が出てしまう。最近この種の事件か多いという。問題は、犯人ひとりにはなく、こういう事が平気でおこる日本というこの国のありようなのではないだろうか。
 すっきりと晴れた日などに法隆寺の参道などを訪れると、私は心の何処かで、室町以降に完成する日本独自の文化ではなく、大陸から吹く風とともに極東のこの都に吹きだまった当時の国際的な空気を感じる。そして気持ちが大きくなる。寺内の宝蔵院に安置されている百済観音像はいつも懐深い優しい笑みを投げかけてくださって、その掌に遊ぶ凡夫としてはすっかりリラックスしてしまうものである。法隆寺は最近ではその建立年代の特定が一度焼失した再建論で確定しつつあるので、聖徳太子の存命時代とはずれる事がわかって来ているが、いずれにしても日本に仏教という新しい文化が様々な人・もの・事と一緒に大陸から押し寄せた時代の記念碑である事は間違いない。
 当時、奈良の都の朱雀大路にはおそらく様々な言語が飛び交い、肌の色や風俗の違った人々が行き交い、人々はそれをあまり不思議とも思わず、むしろ新都の陽気な風物として賑やかな空気に包まれていたのではないだろうか。
 「みんな大スキ」重ね重ね、良い言葉ではあるが、スキという前に、相手を理解しなければならない。我が儘なスキは、自分の事がスキだと騒いでいるようで幼稚でならない。昨今の隣国、韓国・中国・北朝鮮との微妙な関係と、今回の落書き問題はあながち無関係でもないような気がしてならない。聖徳太子の言葉だと言う「和を以て...」噛み締めなければならないと思う。
| 歴史・文化・旅 | 12:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
菜の花

 今年の福岡の桜は、気まぐれな天候に一気にというわけではなく、旬を逃していつの間にか終わったという感がある。今年は花見の幹事も気苦労が絶えなかったのではないだろうか。桜が終わり、気まぐれにも無性に菜の花の黄色が恋しくなった。本当は順序が逆かもしれない。ほんのり暖かくなった気温を、うっすらとピンクの花に象徴してみせてくれた桜に変わり、ぴーかんの青空に似つかわしい鮮やかな黄色い菜の花の絨毯を網膜が所望している。考えてみると、近しい場所で菜の花畑を見ることが少なくなった。昔は住宅地に虫食い上に残った田んぼや空き地、近くの河川敷などで手軽に見れた光景なのに、とんと見なくなってしまっている。澄んだ空とあの黄色、春のぽかぽかイメージ。庶民の身近な黄色が、近頃では高級料理の彩りに皿の上に盛られたりする。
 国民作家、司馬遼太郎の命日2月12日は「菜の花忌」と言われるごとく、彼はこの庶民的であっけらかんとした黄色を生前こよなく愛した。「菜の花の沖」という小説は、江戸終わりに淡路に生まれ、大商人となる高田屋嘉兵衛の男気な生涯を描いたものだが、彼の描く人間は、いずれも読み手を元気にしてくれる。「龍馬がゆく」の坂本龍馬しかり、「峠」の河合継之助しかり。旅の途中、奈良に向かう近鉄電車を途中下車して、司馬遼太郎記念館を訪ねたのは、確か天気の良いぽかぽかとした春だったように思えて来た。実は、いつの頃からか司馬のファンである。学生時代は我が儘に遠ざけていたが、とある頃から彼の書いたものの大半は読破し、再版し文庫になって装丁が変わったものを再び読んでも飽きないくらい好きである。なんだか国民作家と言われ、保守系議員が揃って愛読書に列挙したりするので、あまり公言はしたくないのだが、私の司馬さんはそんな偉大な国民作家でもなんでもなく、身近な目上の親戚の小父さんの様な感覚でなのである。忙しくて外出がままならないときに、紀行「街道を行く」のシリーズは、司馬さんと同行二人で旅をしている感覚に誘ってくれるし、「この国のかたち」はとんでもなく楽しい歴史と公民の授業を受けているようである。「風塵抄」は何気なく少し弱い酒でも嘗めながら縁側で聞く知人の問わず語りの様である。
 司馬さんは自身で物書きという職業を割符をつくって配るようなものだと語っている。つまり、もう片方の割符は我々読者が持っていて、二つが合わさったときに初めて書物の世界が広がって行くというのである。そう言われるとこちらも少し気が楽になる。つまり、私の司馬遼太郎は、半分私の割符だから、私感で受け止めた司馬遼太郎で良いのだと。国民作家と言われ、代議士先生が崇拝する文豪に、身近な親戚の小父さんなどという言い方をしても叱られなさそうに思えるからありがたい。
 近頃は事務所に詰めて仕事をしていて、たまに誰かと語らいたくて司馬さんの本を開くことがある。彼の短いエッセイを何でも良いがつまんで読んで、幕末に思いをよせたり、モンゴルの平原を駆けたり、戦国時代に飛んだりしながら、溜飲を下げる。ずっとそばに寄り添ってくれている師匠のようなものかもしれない。そんな作家が私には何人かいる。
 菜の花を見たくなったのはそんなことがきっかけかあるいはその逆かは自分でも定かではない。
 昨日のニュースで、海外の遺伝子組み換えの菜種の流入を調査する為、路上の菜の花の調査をしているという模様が取り上げられていた。こと菜の花一つとっても、随分と危なっかしい時代になったものだ。
| 歴史・文化・旅 | 12:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
近頃の....。
 この数日の雨は、桜の花びらを一気に奪い去って並木は新緑のグリーンに塗り替わってしまった。桜ばかりが目に止まっていたが、こうなると街並の至る所から、柔らかく若々しい薄黄緑の葉先が初々しく見えてくるから人間などというものは現金なものだ。
 最近のニュースは春には似つかわしくない事件を取り上げている。川崎の小学三年生投げ込み事件。41歳の普段はおとなしく子煩悩な男性が殺意をもって縁もゆかりもない子供の命を奪ってしまう。犯人の人生を狂わせてしまったのはリストラが発端かなどと書き立てられているが、それと子供の命とに何の関係があるのだろう。奪われた子供の命は、犯人の感情の起伏が収まったところで、決して帰ってこない。先日は、70歳代の老人がコンビニで雑誌を立ち読みならずその場に座り込んで読んでいて、店員に注意されると逆上し今度はチェーンソーを店内で振り回すという事件を起こしたという。
 「近頃の若い者は...」と巷の大人は良く言うが、若い頃からその言葉が一番嫌いだった。一応に大人と言われるようになったときに、絶対に自分は使わないと心に決めたものだったが、これでは使えない。社会全体が、何か刺々しく、狂ってしまっている。所詮、煩悩まみれの人間だから、喜怒哀楽、感情は日々目まぐるしく変わって仕方ないと思う。しかし、その有り様と転化がおかしい輩が近頃増えている。悲しみは、ひとへの優しさや慈しみに、怒りは恨みではなく明日への原動力にしていかなければならないと思う。なかなかそうはならないが、普通にそうありたいと思うことが大切なのかもしれない。ごく普通に考えても、子煩悩なお父さんと言う自分の立場を持つ大人が、簡単に小学生の命を奪ったりしない。普通であることがもはや難しいのだろうか。
 「近頃の...」の次に若者ではなく「日本人は」と言葉がよぎり、まぎれもない自分も日本人の端くれであることに気がついてしまう。
 傷つけることに鈍化し、傷つけられることに過敏な人間が増えている。社会全体の風潮なのかもしれないが、初々しい新緑のまぶしい生命観に、今一度自分という命と、自分以外の命について考えてみてはどうだろうか。
| 若者・教育 | 12:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
桜満開

 学校を引いてから、この頃は事務所に詰めていることも多い。ワイワイガヤガヤから一気に静まり返った空間だから、最初は何となく落ち着かなかった。もとの古巣に戻っただけだが人間慣れというものは恐ろしいものだ。手元にあるものは、机の上に仕事用のパソコンと、ファイリングされた書類。専門書、カタログの壁そして、髭の位置から一番良いように配置されたスピーカー、CDの棚。滅多に手に取ることはないが、中学生の頃から使っているギター。其処此処に立てかけてある思い出のフォトフレーム等々。見渡せば、随分思い切ってここを抜け出し、一年間も学生たちと賑やかにやっていたものだ。以前、作家立花隆氏の猫ビルに憧れて、男たる者、自分の脳ミソの一部のような空間を持っていたいと思ったものだが、これからは、少しまたここに巣食い、自分の知の欲求を満たしていかなければならない。
 今日は一日、近年恒例となっている月参りに縁(ゆかり)の神社に詣でてきた。ともするとひと月というスパンすら流されてしまいそうなこの齢(よわい)を、けじめ付けするのにはとても良い。気分はこの春に目出たく学校を卒業し、少し年増の一年生といったところ。折しも桜満開の街並に気分も良く、何か新しいことをやりたい気分でいつもの参道を進み出ると、鳥居のそばに白無垢の花嫁さん。初々しい新郎新婦が境内に入る門の際で写真撮影をしていた。見ず知らずの若い二人のなれ初めは知る由もないが、こちらまでが幸福に思えてくるのはなぜだろう。さりげなく身をかわし、そのまま神前に詣でたが、摂社の一つ一つを巡りながらも彼らの初々しさは昨今の殺伐とした世の中の空気を少しだけ拭い取ってくれるのには十分だった。
 桜は、日本の国の花である。以前、現在里で見られる満開の桜は実は和種ではなく、幕末から明治に外国から入って来たものであるという話を聞いてがっかりした記憶があるが、その咲きようと散りようが何とも日本人の情緒にはしっくりくるのだからその辺りは気にしなくても良いだろう。満開の桜も良いが、まだ花びらが開かず、堅いつぼみが黒々とした枝の先をほのかに紅色をにじませてくる時期も凄く良い。また、散った後の新緑も美しい。ぱっと散るから、あのあでやかさに嫌みがない。そんな気がする。日暮れとともに天候が不順になって、強い風と激しい雨がさぞかし桜の寿命を縮めたに違いない。
 これから、桜並木を超えて、再出発の一年生は少し古木ではあるけれど、今つぼみに力を貯めている。
| 若者・教育 | 12:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
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