2006.06.30 Friday
幸いな事に...若者たちとの事。
幸いな事に、こんな親父のもとに未だに若い子たちが連絡をくれる。ともすれば、親子ほどに歳が離れているのだから、何かを言えば「ウザイ」の三文字で抹殺されても仕方のない関係なのに、仕事の事、プライベートな事など、悩めば内訳話に来てくれる。それは、講師の端くれとして10年存在したご褒美と言えるもので、実に喜びにたえない。学校という舞台装置の上では、お互いの立場が明確にあるが故にそんな事も容易かったが、お互いに一個人となってからは、思いがなければ寄っては来てくれない。無論個人差はある。人間だから、相性もあるし、親か、兄貴(親父が少し図々しい言い回しになるが)のように慕ってくれる子もあれば、遠巻きにしてなかなか近づかない子もいる。別段相談をされたところで、無力な私に何が出来るかと言われても何も出来ないが、多分彼らの親たちよりは口を挟まずに彼らの言い分をゆっくり聞いてあげる事が出来ると思うし、彼らが答えを出すまでは少し待ってあげる事が出来るのだと思う。親とどちらが良いという事ではなくて、それは私が他人だからであって、立場の違いである。私たちが若い頃もそうだったが、他人の親身になってくれる大人の存在というものは有り難いものだった。学生時代に本当の親代わりのようにお世話になったジャズ喫茶の店主ご夫妻抜きでは、私の青春時代は語れないし、人生のその後の展開は考える事が出来ない。私自身が当時そうして根気よく育てていただいたように、出来る事ならば彼らの役に立てればといつも思っている。彼らの悩みの答えは、大抵の場合彼ら自身の中に既に存在している。少しトンチを利かせて、その答えが導きやすいように、私としてはその場の空腹を満たしてあげたり、話を聞いてただただ同意し、心を軽くしたり気分転換をしてあげる位の事なのである。
偏見のない彼らたちに混じって、年甲斐もなく同じ次元で話し込んでいたりすると、決して「近頃の若い奴は...。」などと言う台詞は出てこない。そんな台詞を吐く大人程、若い子たちの芽を潰しかねない輩なのだ。よくよく話していると、彼らは彼らの世界で、悩み、苦しみ、必死で答えを出そうともがいている。大人たちが、そのもがきを真摯に受け止め、答えが出るまで少し待ってあげたり、遠回しなヒントを授け続けてあげる事が出来れば、彼らは十分大人として社会へ貢献を始めることができる。大人が答えを用意する事は簡単である。しかしそれをやった上で、若者に頼りがないなどと毒づくのは大人の傲慢ではないだろうか。自分もそちら側にいる事は十分承知しているが、あえて言うならば、近頃大人がつまらない。自分の事しか考えない奴。若いパワーをただ利用しようとする奴。答えを最初から決めていて、自分の若い頃も忘れて今の子をなじる奴。待てない大人。聞かない大人。理解しようとしない大人。あらゆるものを自分の価値観で決めつけようとする大人。本当にどうにかならないものか。
街を少し歩けば、私たちよりむしろ目上の方々のモラルのない行動に出くわす事も少なくない。きっと、年齢など関係ない、いくつになっても三つ子に教えられる柔軟な心は持ち続けなければならない。
世相を反映して、確かに変な輩も少なくはないが、それでもおおよその彼らはきちんと輝きたがっている原石である。磨きようによっては価値も随分変わってくる。出来うる限り、彼らの可能性を伸ばしてあげたい。そんな事をいつも考えている。
非力な自分には何も出来ないが、彼らが拒絶しない限り、この手のおつきあいだけはずっとずっと大切にしていきたいと思っている。世の中が、私に与えてくれた貴重なホットラインのひとつなのだから。
偏見のない彼らたちに混じって、年甲斐もなく同じ次元で話し込んでいたりすると、決して「近頃の若い奴は...。」などと言う台詞は出てこない。そんな台詞を吐く大人程、若い子たちの芽を潰しかねない輩なのだ。よくよく話していると、彼らは彼らの世界で、悩み、苦しみ、必死で答えを出そうともがいている。大人たちが、そのもがきを真摯に受け止め、答えが出るまで少し待ってあげたり、遠回しなヒントを授け続けてあげる事が出来れば、彼らは十分大人として社会へ貢献を始めることができる。大人が答えを用意する事は簡単である。しかしそれをやった上で、若者に頼りがないなどと毒づくのは大人の傲慢ではないだろうか。自分もそちら側にいる事は十分承知しているが、あえて言うならば、近頃大人がつまらない。自分の事しか考えない奴。若いパワーをただ利用しようとする奴。答えを最初から決めていて、自分の若い頃も忘れて今の子をなじる奴。待てない大人。聞かない大人。理解しようとしない大人。あらゆるものを自分の価値観で決めつけようとする大人。本当にどうにかならないものか。
街を少し歩けば、私たちよりむしろ目上の方々のモラルのない行動に出くわす事も少なくない。きっと、年齢など関係ない、いくつになっても三つ子に教えられる柔軟な心は持ち続けなければならない。
世相を反映して、確かに変な輩も少なくはないが、それでもおおよその彼らはきちんと輝きたがっている原石である。磨きようによっては価値も随分変わってくる。出来うる限り、彼らの可能性を伸ばしてあげたい。そんな事をいつも考えている。
非力な自分には何も出来ないが、彼らが拒絶しない限り、この手のおつきあいだけはずっとずっと大切にしていきたいと思っている。世の中が、私に与えてくれた貴重なホットラインのひとつなのだから。