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K邸工事報告 08 補強金物の取り付け
骨組みが姿を現し始めてから、筋交いや柱の補強金物を取り付けていきます。近年の法改正に伴い、最近は木造住宅の耐震性も求められて基準も厳しくなっています。まもなく役所の中間検査、それに向けて、計算で算出された指定金物の取り付けなど、耐震性や強度を確保する為の金物の取り付けが進められています。


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| 住まいづくり報告 | 15:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
立体商標 ひよこの思い出
 子供の頃、私のことをとても可愛がってくれた母方の祖母と、博多駅からブルートレインあさかぜに乗って関東の親戚まで二人で旅をするのが子供心にも楽しくて仕方なかった。夕刻から乗り込み、寝台車で一晩を明かす。夜中にふっと目を冷ますと、名も知らぬ無人の駅のホームをゆっくり滑り出しているところだったりして、旅情などと言う言葉はまた当時知らなかったが、私の好奇心を満たしてくれる刺激的な時間だったことは間違えない。夜が開けて、快晴の青空が広がる頃には当時の東海道本線からは富士山がゆっくり眺められた。いよいよ関東と言う感じだった。
 出発のホームで、親戚へのお土産に買うのは決まってひよこの形をしお饅頭。博多の銘菓だと言うことで、到着するとまずは挨拶もそこそこに仏前にそのユーモラスな形の饅頭があげられる。近頃は、その製造元が関東進出かなにかで、確か東京駅や空港でも売られている。東京からのお客様が博多にひよこをお土産に買ってくるなどと言う話もたまに聞くし、今ではどちらが本家本元なのか良く分からない。新聞に、ひよこ型饅頭の立体商標が認められなかったと言う記事が載っていた。写真に居並ぶのはひよこの形をした全国のおまんじゅうざっと20種類。こんなにもあるのなら、さぞかしもめることだろうと判断の難しさを感じてしまう。
 私の幼き日の思い出は生き続け、今も上京した折には、その祖母の仏前には必ずひよこを供えることにしている。ユーモラスなその形、どこから食べるかかわいいだけに気が引けるが、明白になるのならば、最初に考案した人の栄誉は守りたいものである。あなたは頭とお尻、どちらからですか?

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| 社会・事件 | 08:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
木枯らしの中の「幸福の王子」
 冬の日、少し寒さが厳しくなり始めると必ず思い出すのが、「幸福の王子」という物語である。言わずと知れた英国の作家オスカーワイルドの短編小説である。私は、子供の頃にこの物語を絵本かなにかで初めて知った。なぜかずっとこの物語だけは覚えていて、今も良く気がつくと頭の中に宿っている。
 とある街の広場に高くそびえ立つ幸福の王子像は全身が金で覆われ、両の目にサファイアが埋め込まれ、剣の柄にルビーをあしらった市民達が誇りとする豪華な立像だった。そこへ、夏の間、葦に一目惚れし戯れていたがために仲間達に一足遅れ、エジプトへと先を急ぐツバメが一羽飛んでくる。この王子像とツバメのやり取りから、物語は始まるのである。小高い場所から見下ろすと恵まれない人々が王子の目には沢山見える。それを見て嘆き涙する王子は、人々を救う為に、目のサフイア、剣のルビー、全身を覆う金などを順番にその都度ツバメに託して、恵まれない人々に届けさせる。エジプトに旅立たなければならないツバメも、王子の願いを聞きながら冬が迫る街に一日一日と出発を遅らせる。気がつくと王子は宝石も取れ、鉛色のみすぼらしい像となり、ツバメは王子の足元でついには寒さに死んでしまうのである。政治家がみすぼらしい像を鋳とかすが、鉛の心臓だけはどうしても溶けず、ツバメの骸とその心臓は天使の手によって天国へ召されるのである。
 何故なのだろう。善行を行い続けた王子とツバメの唯一の福音は天国に召されたことで、現世では何一つない。子供心に報われないこのお話が悲しくて悲しくて、絵本を抱えていつまでも泣いたことを覚えている。キリスト教的な福音が日本人の私には理解出来ず、ただただ物悲しく、タイトルの「幸福の王子」の幸福が殉教と言う文字に見えて仕方なかった。この王子やツバメに憧れ、そのようにありたくもあり、またその境遇にリアルな恐怖も覚えた。もしかすると、私が知った最初の世の無情かも知れない。
 あまりにも浮世離れしているが、冬の日、街角を木枯らしが吹いて、行き交う人の頬をさっと嘗めていったりすると、物悲しげに立っている「幸福の王子の」表情を思い出す。その角を曲がったら、王子が立っているような気がして....。

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| エッセイ | 06:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
冬の空と大正デモクラシー
 鉛色に低くたれ込めた冬の雲の下にいると、およそ見上げて微笑むと言った感じではなく、机に肘などついて少しばかり思索に耽ってみたい気になったりする。こんなとき、不謹慎にもロシアの文豪トルストイは、ハワイアンとトロピカルフルーツの下では産まれなかったのではないだろうかと変なことを思ってしまう。
 先日、近頃では珍しく宮崎県日向村の新しき村と武者小路実篤のことが新聞の読書欄に取り上げられていた。大正デモクラシーの最中、トルストイや印象派の画家達の影響を大きく受けながら理想主義を抱えた青年達の著作には、私の中学時代もご多分にもれず、その思想に深く影響を受けたものだった。実篤を始め、有島武郎や志賀直哉に代表される白樺派は、お育ちの良いお坊ちゃん達の理想主義的な戯れと揶揄される場合がなくもない。私自身、随分大人になってからそんな話をすると、それは誰しもある青い時代の通過点であって、未だに白樺派ですかと冷めた顔をされる御仁も多く、余り人前で多くは語らないことにしているが、心の根っこの部分は、実はここにいつも回帰するのである。早々に卒業した気になっている大人ぶったシタリ顔にはずっと嫌悪感を持って来た。
 「ひとはひと、我は我、されど仲良し」実に有名な実篤の詩だが、私はこの言葉が好きである。個人主義と利己主義は全く別のものである。自己を見つめ自己を確立するからこそ、他人に優しく出来る。何故人を傷つけないかという問いに対し、明瞭に「人に傷つけられたくないから」書き切る思想が好きである。
 近頃の日本人は、ひとの言葉に過敏に傷つきやすく、人への配慮に関してはもっぱら愚鈍をはばからない。被害者意識は大いにあり、余裕に欠ける。安倍首相の言う美しき日本はこの繊細の度を超えたエゴと、公衆道徳の低落から浮き上がらなければ実現しないといえないだろうか。
 トルストイなどのキリスト教的で少し自虐的な部分のある思想を、八百万の神のおおらかな思想にアレンジして紹介してくれた白樺派の功績は大きいように思えてならない。とかく荒んだ昨今の世の中に、もう一度光を求める為に、少しばかり読み返してみようかなどと、近頃企んでいるところである。

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| エッセイ | 08:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
祝4万人突破!!
 5月から本格的な始まったこのブログのアクセス累計が4万人を突破いたしました。この感じでは年内に5万人を超える様子。本当にうれしい限り。つたない私の戯言にいつもつき合っていただいてありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
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| エッセイ | 20:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
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