2007.08.31 Friday
焼きものの繕(つくろ)いのことなど...。
私の机の一角に、焼き物のコーナーがある。と言っても高級な陶磁器のコレクションではない。民陶と言われる窯のものから知り合いの作家さんのものまで、一点一点はさほど高価なものでないが、購入した時の思い出のあるものが多い。そこはいわゆる焼き物の病院で、私が暇なときに繕いをするコーナーである。普段使いのものだから、過ってぶつけたり落としたりして欠いたり割ったりしたものを、私が捨てきれず断片で取っておいて時折パズルのようにして組み立てて行く。以前知人に、金継ぎの面白さを紹介されてそれでそんな事をするようになった。無論むかしの趣味人のように、本格的な金継ぎではないけれども、工芸用漆とエポキシパテ、金泥などを使って手軽にそれとなく仕立てるのである。
夜中にひとり、焼き物の断片などをパテで埋めながら組み立てて行くとその亀裂の一筋のラインが愛おしく思えて、金泥で金色に仕立てたりするとまんざらでもないから不思議だ。数寄人たちが新たなる美的価値をこの欠けた茶碗の金繕いに見いだしたのもわからないではない。例えば水が漏れたり、元の用途で使えないものも、ペン立てになったり植木鉢になったり様々である。ものが捨てられない貧乏性と言ってしまえばそれまでだが、特に焼き物は作り手の思いが詰まっているものだけに何とも捨て難い。ものづくりをする端くれとして、ものづくりの想いが伝わるものには敬意を表したいと思っているのである....。
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夜中にひとり、焼き物の断片などをパテで埋めながら組み立てて行くとその亀裂の一筋のラインが愛おしく思えて、金泥で金色に仕立てたりするとまんざらでもないから不思議だ。数寄人たちが新たなる美的価値をこの欠けた茶碗の金繕いに見いだしたのもわからないではない。例えば水が漏れたり、元の用途で使えないものも、ペン立てになったり植木鉢になったり様々である。ものが捨てられない貧乏性と言ってしまえばそれまでだが、特に焼き物は作り手の思いが詰まっているものだけに何とも捨て難い。ものづくりをする端くれとして、ものづくりの想いが伝わるものには敬意を表したいと思っているのである....。
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