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焼きものの繕(つくろ)いのことなど...。
 私の机の一角に、焼き物のコーナーがある。と言っても高級な陶磁器のコレクションではない。民陶と言われる窯のものから知り合いの作家さんのものまで、一点一点はさほど高価なものでないが、購入した時の思い出のあるものが多い。そこはいわゆる焼き物の病院で、私が暇なときに繕いをするコーナーである。普段使いのものだから、過ってぶつけたり落としたりして欠いたり割ったりしたものを、私が捨てきれず断片で取っておいて時折パズルのようにして組み立てて行く。以前知人に、金継ぎの面白さを紹介されてそれでそんな事をするようになった。無論むかしの趣味人のように、本格的な金継ぎではないけれども、工芸用漆とエポキシパテ、金泥などを使って手軽にそれとなく仕立てるのである。
 夜中にひとり、焼き物の断片などをパテで埋めながら組み立てて行くとその亀裂の一筋のラインが愛おしく思えて、金泥で金色に仕立てたりするとまんざらでもないから不思議だ。数寄人たちが新たなる美的価値をこの欠けた茶碗の金繕いに見いだしたのもわからないではない。例えば水が漏れたり、元の用途で使えないものも、ペン立てになったり植木鉢になったり様々である。ものが捨てられない貧乏性と言ってしまえばそれまでだが、特に焼き物は作り手の思いが詰まっているものだけに何とも捨て難い。ものづくりをする端くれとして、ものづくりの想いが伝わるものには敬意を表したいと思っているのである....。

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| 建築・デザイン | 16:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
頭を柔らかくして...住まいを考える。
 日本人で初めて地面から遊離した高床で暮らしたのは、一説によると戦国時代の武将、織田信長だという。それまでは高貴な人から下々のものまで、一応に地面に近い高さに寝起きして暮らしていた。戦国大名とてご多分に漏れず、権威の象徴、物見櫓としての天守を持った城に住んでも、だいたいは御殿の称する平場に屋敷を建てて住んだそうである。ところが織田信長は、安土城の天守の上層部に寝起きした。それが、日本人として最初だと言うのである。彼の独創性は取り上げれば他にも数限りなく、既成概念にとらわれない人だった事が伺えるが、比叡山の僧を焼き討ちした事は見習わなくても、こんな起居様式は参考にしてもよいのかも知れない。
 マンションは集合住宅としてかなり高層に住む事が当たり前になったが、話しは戸建てである。建て込んだ街中で、隣地境界との距離も稼げずギリギリの場所に立つ最近の戸建ては、2階建てとして、日照においても通風においても1階よりも2階の方が条件が良い場合が多い。もちろん屋根輻射の影響は熱的に処理されなければならないが、間取りをまったく逆に発想して、玄関から魅力的な階段を自然にするするっと登ると、まず2階にリビングが広がっていると言うような設えも十分考えられる。むしろプライベートな空間や衛生周りを階下に置く。自ずと細かく割った部屋が1階で大空間が2階と言う安定的で構造的にも理に叶った構成となるかも知れない。
 問題は、その住まいを建てるときに、住まい手や土地や予算や、諸々の条件でどれほど頭を柔らかくで発想きるかと言う事に他ならない...。織田信長ではないけれども、私たちはどこかで、アヴァンキャルドな一面を持ち合わせていなければならないのだと思うのである...。
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| 住まいづくりのヒント | 07:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
「もの」の持つ力....お道具箱,,,。
 作業をしているデスクトップ周りは、何かと煩雑になりがちである。本当は何もないのがすっきりしているが、ペンやはさみ、ペーパーナイフやホッチキスと、引き出しの中にしまってしまうと必要なときにサッと使いたいものなので不便を感じてしまう。苦肉の策で私が気に入っているのは、いわゆるお道具箱である。ペン皿だと縁が低くてまだ雑然と見える。ずっと昔に買った木工作家さんの木箱が丁度良い。ケヤキのしっかりとした組み物で、本来の使い道は忘れてしまったが、それに不定形なものを入れている。その雑然としたもの達を、しっかりとした矩形のフレームの部分がびしっとカバーして見苦しくない。これが柄物のお菓子のカンカンか何かの転用であればこうはいかないのかも知れない。
 きっとその「もの」の持つ力のお陰なのだろう。視界に、お気に入りの「もの」ばかりが見えていると言う光景は何とも気持ちのよいものである。近頃頓(とみ)にその欲求が強いが、日常の所作の中ではそうも行かない事もある。出来るだけ良いものだけを引き寄せて、そうでないものを処分するが、理想と現実はなかなか縮まるものでない。精神衛生を考えれば、「もの」は出来るだけ少なく、本当に気に入ったものだけとしたい....。

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| 建築・デザイン | 17:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
領収証!5回までルール!?...おいおい。
 この国には私の知らないルールがあるらしい。同じ領収証は5回まで....そんなルール聴いた事がない。一度ならずもと言う言葉があるが、5回である。今年の流行語的にいえば「どんだけー」というところだろうか。ましてやそれが元農水相で衆議院の議員倫理審査会の代表が関わる団体だと言うから世も末だ。庶民の私たちは、1円5円の領収証をチマチマとかき集めて、なんとか少しでも節税できないかと躍起になっていると言うのにいい気なものだ。今、永田町の事務所経費をはじめとする問題は、国会議員の先生方の浮世離れぶりを象徴していると言える。国を動かす大切な事を決めていただくのだから、本来、幾分庶民よりも優遇措置があったところでやぶさかではないが、あまりにずさんな有様と姑息な言い訳にはほとほと呆れてしまうのである。
 安倍首相は教育再生をマニフェストの大きな柱としているが、こんな大人たちがこれから世に出る子供たちに何を教えると言うのだろうか。是非とも政治家教育再生をやってほしいものである。ただ、そんな代議士先生を国会へ送っているのは我々庶民の一票である訳だから、彼らの傲慢もいい加減さも、私たちのちいさなエゴの集積した化け物と言えなくもない。
 忸怩(じくじ)たる思いのなかで、事務所のデスクの引き出しにたまったレシートの束をため息まじりに見つめ、あまりに違う我が身の処遇を思うのであった...。
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| 社会・事件 | 11:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
見えなくなっていく住まい...住まいの今後を考える...。
 ただ寝るだけなら畳一畳あればいい。最近はネットカフェ難民なる若者たちも増えてきて(日々の利用者は全国で6万人、週のうち3.4日過ごす人5千人あまり)、都市の蠢(うごめ)く仕組みの中で浮遊している人々が増えていると言う。あまり沈痛な面持ちで今回はこの社会現象を憂鬱(ゆううつ)に語るつもりはない。むしろ21世紀に入り、都市生活者は雨風しのぐ住まいすらを、もはや必要としなくなっているのではとつらつらと考えていたりするのである。
 最近は食事も外食をした方がかえって経済的な場合も多々あり、今後、多忙極まりない現代人の食事はどんどん住まいとは遊離して外で行なわれていく傾向にあるのではないだろうか。本当に、身繕いをし、寝るだけの巣と化した家には、家族の団らんの場所や、万が一お客様がきたときにと取った部屋などの空間が宙ぶらりんであると言える。
 私は悲観的に考えるのではなく、この時点を住まいの再考の原点としたい。おそらくは、浴室や洗面と言う女性の化粧ポーチのような場所とベッドルームはなくならないとして、それ以外の何を付加していくべきかと言う事である。そう言う意味では、あらゆる事に自由だ。きっとこれからは人それぞれなのだと思う。極限まで切り詰めたコアに、何を付加していくかが、今後の住まいを左右する。私たちは立場として、それらに敏感に連動し既成概念に縛られない新しい住まいのあり方を考えていかなければならないのだと思う...。

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| 住まいづくりのヒント | 07:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
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