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秋深し...「旅の宿」...。
 最近、ふと古い歌を口ずさむことが多い。
 先日もお月さんを仰ぎ見ながら、何かをしていてひとり「旅の宿」を口ずさんでいた。「旅の宿」は言わずと知れた吉田拓郎が歌った名曲。「浴衣のきみは 尾花(すすき)のかんざし、熱燗徳利の首つまんで、もういっぱい いかがなんて、みょうに色っぽいね」古い昭和の歌だが、こう言う歌は、うる覚えに歌えるから不思議だ。何でも尾花(すすき)は秋の季語らしい。しかし月を見てどうしてそう思ったのだろう、と思うと、「部屋の灯(あかり)をすっかり消して、風呂あがりの髪 いい香り、上弦の月だったけ、ひさしぶりだね 月見るなんて」この2番の歌詞らしい。上弦の月とは左側がかけている月のことらしい。私はこの歌が歌う季節が、四季の何処なのかなどということはこれまで意識したことはなかった。無意識に秋の月をみて、太口ずさんだが、まさに命中、この歌は秋の歌だ。尾花(すすき)、上弦の月、熱燗徳利、歌詞とメロディーの創り出す世界が私の秋の感覚とマッチングしたと言って良い。
 改めてそう思うと、いい歌なんだなぁと思う。秋深し、となりは何をする人ぞ。私の場合、旅の宿が恋しい秋である...。
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| 歴史・文化・旅 | 17:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
日本人の面構え...。
 近頃の政治家たちは、テレビの露出も増えて身近になったと言えば聞こえが良いが、どうも一昔前の政治家に比べれば、面構えが違っている。例えば今の福田康夫総理大臣のお父さんの福田赳夫前総理、口を真一文字に結び角福戦争で総裁選を戦う面構えは迫力満点だったし、対向の田中角栄氏は言わずもがなの迫力の面構え。大平正芳、三木武夫、佐藤栄作、子供心に見る一国の首相は何となく「偉い人」というイメージが強かったが、あれはこちらが子供だったからだろうか。何となく坊ちゃん坊ちゃんした2世議員が多いからかも知れないが、その面構えにも政治姿勢が出ていると言えば言い過ぎだろうか。最近アイドルグループの男の子たちをみても街行く若者たちをみても、みんな同じに見えてしまい個性に欠ける感じがいなめない。顔の造作については決して人の事を言えた義理ではない私だから、あまり過激な言及は出来ないが、近頃日本人の面構えが何となく、全体的に幼い感じがしてしまうのである。実年齢は関係ない。内から出るものかも知れない。
 学生時代、ある恩師から「男ならそろそろ自分の顔に責任を持て。造作のことを言っているのではない。男は化粧で誤摩化せない。鏡を見よ」と言われたことを今でも鮮明に覚えている。良い歳となって、我が身を振り返れば、政治家の面構えを寸評している場合ではないが、これも自分をデザインするということ、自分も含めて、「男も鏡を見よ」と言いたくなってしまうのである...。
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| 歴史・文化・旅 | 12:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
不登校を考える...。
 年々不登校の子供たちが増えている。小中学校でおおよそ13万人、とてつもない数で、なんと押し並べてどのクラスにも不登校がひとりはいる計算なのだと言う。一口に不登校と言ってもその理由はまちまちで、本人に原因があるとも学校に原因があるとも微妙な問題が多いので、ケースバイケースで現場の先生や保護者の方達が対処しているのが現状なのだと思う。その一面として「いじめ」という言葉が脳裏をかすめるが、それは別の大きな問題として、そう言えないほどのことでも、人と人とのコミュニケーションの問題だから、言葉の捉え方や表現によって傷つけたり傷つけられたりと言う些細なやり取りが不登校のきっかけを産んでしまうことも多いのではないだろうか。
 近頃の日本人は、語彙が少なく表現力も希薄で、辛辣(しんらつ)な物言いや相手を慮(おもんばか)っての言葉の選択が出来ない人が多い。これは子供ばかりの問題ではなく、その鏡として私たち大人が考えなければならない問題である。短絡的で、すぐ切れやすく、持久力がない資質も子供の世界に限ったことではない。
 言葉という意味では、すぐに「不登校」というレッテルを貼ってしまうのもどうかと思う。私たちが子供の頃にも、不登校とおぼしき長期欠席の子がいなかった訳ではない。毎日近所の子が給食のパンを届けていたり、それぞれがそうしてつながりを保っていた。毎日学校に通うことが一般的だとしても、ある子にとっては3日に一度でも悪くない。「学校」が、単なる学力履修の場になってしまっているからこそ、それを受け入れる奥行きがない。ゆとり教育も、また詰め込み教育も、どちらもそう言うビジョンに希薄であることには変わりはないのではないだろうか。
 学校は、人間としてのコミュニケーションの修練の場であるとも言える。適度なストレスと、人と交わる喜びと、悲喜こもごもの出来事を、誰でもまんべんなく学べる場になれば、不登校は減るのではないかとふと考えたりするのである...。
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| 若者・教育 | 07:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
「船場吉兆」での改ざん表示...相次ぐ老舗の失墜...。
 「吉兆」と言えばB級グルメ専門の私でも名前くらいは知っている老舗の料亭である。福岡岩田屋は、市内のデパートではやはり老舗中の老舗で、私の子供の頃、デパートの屋上遊園地と言えば、岩田屋の屋上だった。そのデパートで、吉兆系列の「船場吉兆」で、お菓子の賞味期限の改ざんが行なわれたと言う。止めどない食品偽装や賞味期限の改ざんは、何だか飽きれるばかりである。また、今日はあの赤福に類似する「御福餅」でも偽装の疑いが取りざたされ始めている。
 そもそも和菓子は生ものが多い。お餅などはつきたてから徐々に劣化して味が変わるし、添加物がなければあんこだって日持ちはしないものではないだろうか。賞味期限のラベルがここまで信用をなくしてしまえば、やはり子のての食べもものは大量生産には向かないと言わなければならないだろう。
 「老舗」とは、歳月に耐え暖簾を守ってきた頑(かたくな)な伝統が後ろ盾になったお店である。おそらくは、大量生産によって得た信用ではない筈だ。やはり、無理がある。福岡のデパートで、京都の銘菓が手軽に買えたりすることが不自然なのだ。何事も、お手軽主義の時代だが、「老舗」という言葉の意味をゆがめてしまうこのような事件を、もうこれ以上みたくないというのが消費者の本音だと思うのである...。
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| 社会・事件 | 16:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
街の灯り
 いつもウォーキングに使う道沿いに、近頃は高層のマンションが建ち並び始めて、遠い山の稜線や、月の見える視界が狭くなってくるのはあまり好ましいことではないが、この季節になると、街の灯が、何とも暖かくよそのお家でも「ただいま」と帰りたくなるような郷愁を醸し出している。
 規則良く並ぶその窓ごとに、使っている照明器具や垂らしているカーテンの色の差などによって微妙にその光の映り方が違っている。その微妙な違いも、光のパッチワークのような感じで何とも暖かいのである。それぞれの窓の向こうに、ひとつひとつ固有の暮らしがあって、時折うっすらと影が横切ったりすると、今晩のおかずは何かななどと余計なことを考えてしまう。灯りが灯っていない窓があったりすると、今夜はお出かけかななどと思ってしまう。
 マンションの場合、リビングのバルコニー側の窓がその家ごとの最大の窓であり、言わばその家ごとの顔とも言える。ひとつひとつの顔が放つ光の色の違いが、その家の光の色である。今夜もまた、きっとそれぞれの窓に、個性豊かな色の灯りが灯るのである...。
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| 建築・デザイン | 12:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
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