「暮らし」とは、日々単調なリズムの繰り返しであったりする。だが、そのリズムの中にどう言うものを折り込みながら時間が流れていくかということが大切なのであって、なおざりにしていっても、時間だけはなんとなく流れてしまうから、実をいうとそこが恐ろしいものなのである。例えば、どんな言葉を使おうと、どんな器でものを食べようと、どんなものに囲まれていようとただ時間だけは流れて行く。時間は万人に平等で、意識しなければそれで終わってしまうが、出来ることならば少しでも、そこに気付きを具現化して行くと言うことが、暮らしの豊かさなのではないと思うのであるが、なかなか実行に移すとなると億劫なものである。華美なことや、贅沢を言っているのではなくて、ありのままの暮らしの中でのちょっとした工夫でという意味である。
私は幼い頃、母方の祖母に良く面倒を見てもらっていたが、大正生まれの祖母はそう言う意味では知恵のある人だった。幼い私は、今の仕事の伏線かどうかは定かでないが、当時レゴであるとかダイヤブロックと言ったプラスチックのピースを組み立てて色々なものをつくるおもちゃが一番好きで、いわゆるインドア派だった。遊んでいるとそれが部屋中に散乱する。片付かなくて時には叱られたが、それをいつの頃からか段ボールのおもちゃ箱に片付けるようになっていた。今思うと、祖母はその箱に奇麗に千代紙を張り込んで美しく見栄えの良いように意匠を施してくれていたのである。パッチワーク状のそのカラーがなんとなく記憶に残っている。決して豊かな家庭ではなかったが、そんな記憶は残るものである。包み紙や奇麗な紐を押し入れに溜め込んでいてはそんなことをマメにする祖母は、私の最初の先生だったのだが、きっとそう言う記憶も私の今の仕事に影響していると言えると思うのである。
何処かにお邪魔して、トイレの一輪挿しの花に感心したり、お食事をして手作りの箸置きなどに心和んだりするが、要はそんな感覚なのではないだろうか。いつも思うが、私などはいつも「住まい手をそんな気にさせる空間」を目指しているように思うのである...。
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