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明日からまたガソリン値上げ!!
JUGEMテーマ:社会の出来事

 明日からまたガソリンの値段があがる。170円台が定着して、じわじわとリッター200円が現実のものになって来ているのかも知れない。報道は、値上がりばかりを伝えるが、お国は国民にその負担を強いるばかりで、暫定だった税率は既成の事実となり、論議すら下火になって来てしまっている。世界の各地で暴動などが起きているが、日本の国民性は温厚なのだろうか、不平不満を口にしながらみも、同なもならない事だと諦めている感がある。衣食住にわたって、これから物価の高騰が続くが、私たちの生活は少しずつ暮らしの現状をキープする事が叶わず、何らかの見直しを迫られるほどになって来ている。
 発表された国土交通省の調査では、5月の新築着工件数は前年比6.5%減で11ヶ月連続の減少となったという。もはや、住まいどころではないと言う人たちも増えているのかも知れない。
 私は元来、浮世の経済に疎いが、ここまで身につまされるとなんだか自分も変わらなければと考えてしまう。出来るだけ車を使わず、自転車か歩く事。外食を減らし身体に必要なものを必要なだけ食べる事。米を食べる事。ものづくりをする時は、出来るだけ無駄なエネルギーを使わずに、少しでも長持ちするものをつくること。役目が終わったらリサイクルやリユースが可能なものをつくる事。あげてみれば、いよいよ浮世離れの感も否めないが、処世術として、そんな事を考えたりするのである。
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| 社会・事件 | 22:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
住まいづくり...B品のこと...。
「B級グルメ」などと言う言葉があるが、「B」という文字にはとかく「A」ではない負のイメージがつきまとう。私は仕事の合間を縫って、建材となる材料を捜しにショールーム周りをしたり材木屋さんや第3セクターの森林組合をたずねたりする事があるが、ここで時々「B」を眼にしたり耳にしたりする。
 先日も、山の中のとある建材店の倉庫を見学に行ったおりに、片隅のフローリングの山をみて営業の人に教えていただいた。「この列は製品が悪くて市場に出せないB品ですから」と彼。棚を素通りしようとするので、どれどれと見せていただくと、それは輸入品の無垢のフローリングだった。「でもB品ってまた生産国に返すの?」とたずねると経費がかかるからそれすら出来ないのだという。ちょっと待って、と良く見ると、私に住まいづくりに取っては良い品なのである。多少生き節があったり、あてと言って極端に色の違う部分があったりするが、無垢である。複合フローリングやフロアのように、合板の上に突き板を張ったものや、ウレタン塗装で皮膜をつくったフロアよりも、よっぽど快適な筈である。色違いはも自然塗料やワックスで仕上げればきっと問題ない。「で、これいくらなの?」と伺うと要領を得ずに売り物でないから値段はないと言う。私は市場に出せる価格の設定を依頼してその場をあとにした。
 例えば床板一枚にしても、お掃除が楽なのが一番と、ウレタンコーティングのものを最優先に考える方もいれば、柾目が通っていれば突き板でも良いと言う考え方もある。しかし中には、少々節があっても、色むらがあっても、足触りが良く年数とともに良くなる無垢が、もし予算に納まれば良いと言う人もきっといる筈である。万人向けではないかも知れないが、私はそう言うB品を良く使う。
 例えばA品だと言ったり、性能を過大に延べたりすれば、それは今流行りの「偽装」である。しかし、きちんと紹介して、JASS認定が取れなかったり、品質のムラなどの説明をした上で、それでも無垢であるこの方が良いのではないかと説明して使う事にしている。そこに嘘がなければ、コスト配分などを考えても、グルメ同様、A品と変わらぬ価値のあるお得なお宝が隠れているかも知れないのである...。
JUGEMテーマ:建築

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| 住まいづくりのヒント | 06:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
ウォーターマッシュルーム
 もう何年も前から、事務所の片隅にある小さな鉢に、このウォーターマッシュルームはいる。もう何代目だろうか。最初は気まぐれに竹墨で出来た小さなポットに入っていたのをキャナルシティーかなにかで買ったのが始まりだった。条件が良いととても増えて行くので、株分けしては、今度はどちらかの水やりを忘れて片方をダメにしたりしながら、もう何代もそこにいる。
 水生でにゅーっと伸びた茎の先に、曲芸の皿回しのような平板でまん丸い葉が少しユーモラスで可愛らしい。その後も幾種類かのグリーンを事務所に置くが、日当りの悪い事務所ではなかなか生育が難しい。このウォーターマッシュルームも、何度かの危機的状況を乗り越えて、冬は屋内に置いてあげ、春先から暖かくなれば、玄関先の日当りの良い屋外で育てている。
 少しでも視界の中にグリーンがあれば眼が休まる気がして、書類とサンプルの山となりがちな仕事スペースに、少しでもとの思いでそこにいてもらっているのだが、もの言わぬ植物にも、時の流れは人格を与え、何だか変な仲間意識が私の中で芽生えている。春からすこぶる元気がよいので、みていてこちらも元気を頂く。これからも、ちょっとした相棒として、彼にはそこにいてほしいと思う...。
JUGEMテーマ:〜癒し〜

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| エッセイ | 07:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
住まいづくり...光と影
 ものごとには全て陽のあたる部分とその裏側の影の部分とがあって、形あるものはその陰影によって私たちの前に姿を現すことになる。若い頃、奨学金を得てギリシャ・ローマを旅した近代建築の巨匠ル・コルビュジェは、白い大理石の古代遺跡の織りなす陰影の美しさに心奪われ、生涯その美しさを自らの建築の中に求め続けたと言っても過言ではない。現実に、私たちが視覚的に認識するものの形はその陰影によって網膜に飛び込んでくる事は、学生の頃やったデッサンや銀塩フィルムに焼き付いた写真を見ても明らかである。
 「建築」はしばしば凍れる音楽と表現されるが、そのテンポもリズムもメロディーも、そして様々な陰影が見せるハーモニーも、みな光と影である。列柱、開口部の凹凸、重なる庇、屋根の形状などでできる陰影を、つたないながらも外観を構成する要素として私たちも意識する。そしてに内部においても、どんな光を取り込んで、どちらからどう影をつくり、またその空間に満ちる光の量をどうして空間にどうメリハリをつけるかを常に考えている。素材感も色も、全てその効果のための絵の具と絵筆である。
 例えば巨匠の見た地中海沿岸部の光は、カラッとしていてメリハリも効き、色も形も輪郭をシャープに見せてくれる光であるが、私たちの住むこの地の光は、少し重たい湿気を含み、どんよりと濁っている。日本の伝統建築を見れば、その効果の狙いは前者とは明らかに異なっている。私たちは巨匠の思想を学びつつも、この風土の光と影を理解しなければならないと、たまに思いながら陰影を確かめていたりするのである。
JUGEMテーマ:建築

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| 住まいづくりのヒント | 07:14 | comments(0) | trackbacks(0) |
フィレンツェの落書きをした大学生を想う...。
JUGEMテーマ:社会の出来事

 「旅の恥はかき捨て」と昔から言うが、日本の大学生による世界文化遺産の大聖堂の柱にされた落書きの報道は、本当に胸の傷むニュースだ。思いつのらせて一大決心でパリに赴き、あの美しさを吸収したいと許された時間を寸暇を惜しんで、市中駆けずり回った事のある私などから言わせれば、言語道断な話しであるが、彼らのその感覚が悲しくて仕方がない。京都や奈良の古刹でも、時折この手の心ない行為を目にする事がある。以前、東福寺に長く続く昔ながらの格式ある土塀に、浮かれたアイアイ傘が無数に並んでいたのを見て泣けて来た事がある。私などは少なくとも、この感覚の人びとを国外に出すべきではないとさえ思ってしまう...。
 以前「携帯を持ったサル/正高信男著」という本の中に、靴の踵を踏んでコンビニの前にしゃがみ込み、ものを食べる高校生たちのことが触れてあり、コンビニの前の路上と言う公の場所に、自分の私的な空間を引き摺って他を意識しない若者たちのことを、別種の引きこもりではないかと分析し、サル化というような表現で呼んでいたのを私は思い出してしまった。
 異国の歴史と文化に触れるという事は、その人のその後の人生を大きく変えてしまうくらいのカルチャーショックであるに違いない。圧倒されるヨーロッパの歴史に見る芸術の素晴らしさと建築の偉大さは、敬意と恋慕の思いは抱いても、軽々にその一部を汚そうなどとは思わない筈なのだが、彼らは異国のすばらしい文化の前でも、私的な空間を行使したのだろうか。人のテリトリーに踏み込ましてもらう謙虚さに欠ける。まさに感性の鈍化だと言える。ヨーロッパまで自分の私的空間を引き摺る事が出来る彼らは、何処へでも土足で踏み込める無頼者と言われても仕方がない。彼らが無謀にも、人類の知の集積である彼の遺産に対して、ためらいもなく落書きが出来たというのならば、それは余りにも無知だったと言わざるを得ない。そしてその無知を補う為の純粋な感性すらも鈍化していると言わざるを得ない。
 前途ある彼らには、おおいに反省してほしいと思う...。
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| 建築・デザイン | 11:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
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