様々な要素が錯綜すればするほど、寸法はミリ単位でシビアになってくる。そのシビアなミリ単位の検討が、逆に言えば暮らしが始まってからの起居動作のいちいちを、制約し、また解放し、快適性とも繋がってくる。例えば、おざなりに、市販の設計例図面集などから一般的な標準仕様ばかりに甘んじていると、この辺りのことが鈍化して、当たり障りはないが何となく感動も何もない空間になってしまうから難しい。基準値からあまりイレギュラーしてもどこが不都合があるかもしれないし、通り一遍でも面白みがない。その狭間で、いつも巻き尺を持ちながら悩み続ける。
出来上がれば、それは必然にならなければならないが、寸法とは実に細やかな配慮が必要なものである。
私たちが望むものはいわゆるオートクチュールであるのだが、かといって、家族はその規模も形態も時間とともに千変万化する。その中で、次世代につなげることが出来る汎用性ももくろみながら、リアルな住まい手にしっくりする寸法を探し求める日々が続くのである。