結露のイメージで悪くないシーンを私は知っている。今と真逆の冬の季節。クリスマスの頃の単路のある部屋を、窓の桟の外に雪が積もるような場面である。結露は、室内の暖かさの象徴であり、その幸せのバロメーターと言っても良い。絵本などによくあるシーンでは、むしろ結露が暖かく優しく描かれている。あのイメージからは想像出来ないが、言わば窓も壁もあれからどんどん進化していかなければならないし、暖房に関する考え方も日々進化しているのである。
私は、北海道に最初に渡った時に、薫陶を受けた諸先輩に、結露は「欠陥」だと言われてショックを受けた。当時の北部九州の建物はほぼ全部結露をし、もしかすると半分以上はそのままここまで来ているのである。今でこそペアガラス棚んだと言う時代になってきたが、私たちが採用し始めた頃は、必要ないの一点張りだった。だから、結露はどうしても許されないのである。
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◆応援よろしくね!!読んだらココをポチッと協力お願いします!!→これらの結露現象で問題なのは、ガラス面とその周囲の不衛生さもさることながら、実は見えなくなっている壁の中や屋根のコンディションに大きく影響するために防がなければならないのである。壁の中が濡れれば、自ずと壁内にある木部がしっけ、しっければ腐朽菌の温床となり、木は腐り、住まいの寿命は極端に縮んでしまう。これが問題なのだ。住まいは長くその姿をキープしなければならない。昔の木造が何百年も持っているのは、ほぼ軸部がストリップで、断熱など何も考えない開放的な構造だったことが大きな理由だ。だったらそうすれば良いのだが、現代人のライフスタイルにはそれは不向きである。図らずも気密性能があがり、そこそこ断熱もしているなどと言う現代住宅は、水分を含み、木部が腐ると言うメカニズムにいつも晒されているのである。断熱層の外に、防風透湿シートを張り込み、その外側に通気層をもうけると言うダブルスキンの工法は、そう言う意味から産まれた工法である。
あらゆる場面で空気中の水蒸気は水に変わる。場面によっては雨漏りがしたのではないかと疑いたくなるほどの現状となるのである。私たちはだからこそ、この結露に注目する。(つづく)JUGEMテーマ:建築
なぜそれほどに、目くじらを立てて結露のことを騒ぐのかと言われる方も言われる名かもしれない。たしかに、窓辺の結露くらいのことは、あまり大げさに騒ぐたことでもないと言えるかもしれない。実質的に家事をしている奥様が毎朝日課のように露を拭き取らなければならないと言う被害を対したことがないなどと言うと、叱られるかもしれないが、この現象に潜んでいる問題は表層ではなく、床下や壁の中で起こっているから注意深く解決していかなければならないのである。
結露は、空気とその空気に触れている面との温度差が、露点に達した段階で、空気中の水蒸気が追い出されて水滴となるもので、この自然現象はあらゆる場所で起こりうる。ビールジョッキに付く露も結露であり、ビールに冷やされたジョッキの外側の面が周囲の空気の露点温度になったための結露である。窓辺の結露は、外気に冷やされたガラスの面の温度が、室内空気の露点に達して空気中の水蒸気が水滴となって現れたもので、夏場と特殊な気候条件でこの逆のことも起こりうる。(つづく)
小難しいことは抜きにしても、次の代に向かって丈夫で長持ちするように建てるのは言うまでもない。また、万人向けの汎用性など求めなくて良いから、次の世代の誰かが、チョイスしてくれる魅力が必要だと思ったりするのである。であれば、ただ丈夫なだけでなく、飽きられないようなデザイン的な魅力も必要だし、またフレキシブルに時代のニーズに合わせて可変的に活用出来るものでありたい。そう考えれば、今見えている住まいの景色は全く違うものに見えたりもする。一般の消費者の方たちの選択肢の中に、どれだけそう言う要素を埋め込んでいけるかが、私たちの課題と言える。冒頭で言ったが、国任せでは難しいのかもしれない。ドイツの街並は、文化として、ドイツの人々が育んだものである。特別運営を任された一時期の政権が強制したものでもないはずである。「文化」レベルで、共通認識として育んだ彼らの街並は、うらやましくもストック社会そのものである。今更日本人の得意な猿真似をする必要もないが、私たちの街並は、私たちが真剣に考えないと本来、私たち日本人が好むような住まいのストックは出来ていかないのである。