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集える住まいのかたち...。3
 家庭の中から「火」がなくなった事は、暮らしの進化というべきものであるが、それとともに集うポイントだったその「火」がなくなった今、私たちは何を中心に集うかということになって来る。やはり温かい食べ物を共有するダイニングテーブルはその第一候補であり、同じものを食べる事の大切さは3.11以来とても重要な感じがする事のひとつである。また、嗜好品である珈琲や紅茶を楽しみながら、たわいもない語らいを楽しむというのもあるのかもしれない。集うという事が、住まいの重要な要素のひとつである事は是非とも再認識したいものである。
 かつての高度成長期は、そのポイントがブラウン管のテレビであり、一方向に家族がそちらを向いて並ぶという、考えれば奇異な形が想像できた。近年テレビも薄型で存在が希薄になり、情報量も膨大になりすぎたためか、相変わらず「ながら生活」に拍車をかける人と、そこから脱却しようとする人の二通りが極端になってきた気がする。3.11以降の意識の変革は、一方向を向いて、家族間の会話が希薄であるという状態からそろそろ卒業しなければならないと言っているのかもしれない。かつて囲炉裏を中心に語らうDNAを呼び起こさなければならないのである。(つづく)
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| 住まいづくりのヒント | 16:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
集える住まいのかたち...。2
 集う場所という意味において、かつての住まいの集いのポイントは、「火」だったと言えるかもしれない。かつての古代遺跡で復元されている竪穴式住居や、近代まで住まれていた民家の中心は囲炉裏だったり、いわゆる「炎」だったのだ。暖をとり、獣から守ってくれて、食材をとてつもなく美味しくしてくれる「火」は暮らしの中心であり、その「火」を共有する存在が家族の始まりだったと考える事が出来る。もう随分前に室工大の窪田先生にアイヌのチセ(伝統的な住居)の研究のお話を伺った時に、私たちが「火」を見ると何となく安心して眠くなるのは、何万年も前からそう言うシーンを共有してDNAに刻み込まれているからではないかということを伺って合点が言った事を思い出す。現在の住宅では、室内から「火」がなくなってしまったが、それに変われるものを私たちは見つけようとしているのかもしれないのである。そう言う意味で、食事をするということは当時からの所作の延長にあるもので、炎を共有するのと同じような感覚に慣れる大切な時間なのかもしれないのである。(つづく)
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| 住まいづくりのヒント | 11:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
集える住まいのかたち...。1
 「家族の団らん」などと言う言葉は、散々住宅業界が使いすぎて、手垢まみれになってしまっている感があるが、一年前の3.11以来の日本人の精神構造の中には、どこかで安心出来る仲間と絆でつながっているという実感を常に感じていたいという感覚が根付いている。当たり前のようにある日常のコミュニケーションを改めて再構築するという意味においては、災いを肯定するわけにはいかないが、出来事の中で良い影響のひとつだと考えても良いかもしれない。私たちは社会の中で様々な人々とコミュニケーションをとりながら日常を送っているが、大切にするべき同胞たちとの暮らしほど、慣れすぎておざなりにしてしまっていなかったか、そんな事を思う一年だった。例えば家族で囲む食卓ひとつとっても、時間がずれ始めてなかなか全員が集う場に出来ない家族も少なくない。お父さんが仕事の帰りが遅い。子供たちの塾がある。共働きで幼児の時期から遅くまで保育園に預けざるをえないなど、現代社会の中の家族の形はさまざまである。そんな家族が自然と集うような空間が出来ないかなと思う。(つづく) 
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| 住まいづくりのヒント | 07:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
住まいを木で造る豊かさ...。5
 「建てたら終わり」という感覚は、本来木造住宅に持ち込んではいけないのかもしれない。世界に誇る奈良斑鳩の法隆寺は、1200年あまりの時を刻む世界最古の木造建築であるが「建てたら終わり」で立ち続けている訳ではない。補修修理を繰り返し、エンタシスが有名な回廊の列柱を一本一本見て回ると、まるでパツチワークのように悪くなったところを削り取り木目をあわせて埋木をするという事が繰り返されてきているのである。木造住宅に1200年という時間は必要ないかもしれないが、本来スクラップアンドビルドで想いもなく量産されるべきものでもないような気がしてくる。私は迷うと何だか斑鳩に行きたくなるが、少しでも先人たちの木を使う姿勢を学びたいと思っているのかもしれないのである。
 世界的に見ても、木で造る日本の住まいは本来豊かなものだと私は思う。もっともっと進化して、長持ちし、性能が担保され、快適で優しい住まいを造りたいと思うのである。
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| 住まいづくりのヒント | 16:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
住まいを木で造る豊かさ...。4
 見学会や現場のご案内で、場所の説明をする時に、私は良く「木造の家ですから多分わかりますよ」と表現することがある。「??木造なんて、周囲もそうじゃないですか?」と言われるのだが、来られたお客様は「なるほどね、納得しました」と言われるのである。木造といいながら、戦後の在来は大壁で木材が隠れてしまうものが多く、本来「木」で造られていた破風や軒天も、防火仕様で窯業系の形成品に変わってしまったから、木を感じる要素が少ないのである。だから、一度木をふんだんに使うと不思議に目立つ。ましてや消費者は「木は腐らない?汚れないか?」あげくの果てには「手入れが大変でないか?」と連呼するのでクレームになっては大変といよいよ内外装ともに何となく「フェイクもの」の建材が巾を利かせる形になってしまっている。私は臆せず施主に手入れ方法を伝えては木を使うから、目立ちたくなくても目立ってしまう。木を使うという事は、一長一短、良い部分があるという事は弱点もある。そこと付き合う覚悟が出来てから、初めて木の良さもわかるのである。出来ることならば私は、そう言うリスクも解説した上で、やはり木の家を建てて行きたいと思うてのである。(つづく)
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| 住まいづくりのヒント | 07:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
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