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街並について...。6
 魅力を感じる外国の街並には、教会と広場があり、通りに面して緑地と各戸のファサードがそれぞれ個性的な表情ながらもなにがしかの統一した法則の見え方で続いている。突出したこれでもかの見え方をするものはなく、時間という濾過が残したもので形成されている。
 そこにあるものは何かと考えれば、そこにあるものは、地域の個性をもった「文化」ではないだろうか。きっとインスタントな哲学のない土木開発で映えられない空気感がそこにあるのではないかと思うのである。日本では、各地のニュータウンがもう「ニュー」ではなく、居住者の高齢化と建物の老朽化に残念な街並に変わり果てている場所が少なくない。代替わりをして次の世代が住めば良いが、それも叶わず転売も難しいという感じの住まいたちに、これからどう言う手法をもって対応して行くかというところが、これからの街並のためのひとつの道筋かもしれない。
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| 住まいづくりのヒント | 16:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
街並について...。5
 最近たまに思うのは、あらゆる弊害は物事の価値を全て貨幣というものに置き換えてしまう事ではないかと思ったりする。街並などと言うものも、本当は日々流動的な貨幣経済などとは無縁に、そこに暮らす人々の時間に合わせて少しずつ形成されて行くもので、それを瞬間の価値観で一気にやってしまうから、すぐに朽ちて色あせて行くのだ。100年の計で見て行かなければならないものが、経済という物差しで測れるものではないのだけれども、力任せに行うのだ。日本の郊外の街のニュータウンなどはまさにその弊害で、哲学がない分よほどの規制をかけなければならないのだが、それも売買には弊害となかなか思ったようには統一感が演出できないでいるのである。いつまでこんな町づくりが続くのか。思えば憂鬱になってしまうが、周囲を気遣い、時間を見据えて少しでも街並に貢献出来るものを増やして行きたいものである。どの地方都市に言っても、幹線の両側にはファストファッションの郊外店と家電量販店、よく見るファミレスなどが全員集合で並び、一瞬自分の現在地が分からなくなるほどである。これは良い意味のグローバル化とは全く違う。思考停止の産物というよりないのである。(つづく)
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| 住まいづくりのヒント | 11:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
街並について...。4
 日本人は従来、内と外のどちらに重きをおくのだろうか。外というよりは内を充実させることを好む国民のようにも感じられるが、「世間体」とか「見栄」と言った言葉もあるがごとく、何となく外に対してそつなく行きたいという部分も多いにあるようにも思える。この辺りのバランスが、何となく今の街並にも影響しているかもしれない。ただ、正直ニュータウンの居並ぶ住宅を見ていると、外に意識を及ばせる余裕と予算はなかなかないというのが実状のようだ。
 偶発的に、値段や立地で土地を購入した何の因果関係もない人々が、自分の好みでビルダーを選び、両隣すら全く意識せずに自分の好みの外観を選んで行く。その羅列だから、脈絡もないのかもしれない。ビルダー自身、パターン化したパッケージを売るだけだから、そこに地域性や周囲との調和と言うビジョンはない。この見事にそう言う意識のない街並なのである。かつての日本の街並も、特に景観に対する意識がなくても、従事する業者が地域の限られた業者で、気候風土に濾過されたパターンで仕事をする集団だったりするから、何となくそろって行く。どちらも無意識だが、功罪は明らかである。(つづく)
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| 住まいづくりのヒント | 07:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
街並について...。3
 例えば、長い時間に濾過された京都の街などの風情は、誰の目にも心地よいもので、何もヨーロッパを引き合いに出さなくても、日本人にもそう言う感性は充分持ち合わせていると言って良い。先日、プランの途中で資料として二川幸夫さんの「日本の民家」の迫力のモノクロ写真を眺めていると、各地域にあった暮らしの形としての集落にも、統一感があって美しいと改めて思えるものが沢山あった。山の集落には山の集落の美しさ、海に近い集落ではそういう美しさがあった筈である。
 いつの頃からこの美しさがなくなってしまったのか。新興住宅街のすぐに朽ちて行く感覚は、何処から来ているのだろうかと疑問に思ってしまうが、どうも戦後の日本の本来の価値観ではない部分で物事が進められて来て以来の事のようでならないのである。高度成長期の価値観はスクラップアンドビルド、開発が投資と金儲けのツールでしかなく、貨幣価値でのみ評価する価値観である。どうも元凶はそこにあるのではないか、そんな事を思ってしまう。(つづく)
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| - | 17:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
街並について...。2
 例えば東京のベイエリアの高層建築群などは、それなりに素材も色も何となく統一感があって目に邪魔にはならないし、古い住宅街はそれなりに情緒もある。ただ、ちょっと郊外の新興住宅街に目をやると、本当に申し訳なくもファインダーから切り取りたいと思う景観など皆無に等しく、どうすればここカオス的になるのかと思えるくらい惨憺たる状況か現れてくる。決まって「○○ヒルズ」とか、「××ニュータウン」と言う感じで名前こそもっともらしくお洒落だが、目に入ってくるものは安っぽい新建材のゴミのようである。個々にはそれなりの検討をしているのかもしれないが、全くもって街並になっていない。「お隣さんがグレーだから、うちはごゲ茶で...」「このあたりにはないから、屋根はグリーンで」などという会話が聞こえてきそうである。バラバラに、それぞれが何も考えずに建て始めると、こう言う感じになってしまうのかもしれないが、既に高度成長期に育った人々の故郷が、そう言う景観である事を私などは一番危惧するのである。
 こんな街並になった理由はなにか、逆にどうすれば良いのかという話であるが、建築協定や景観条例で縛るというやり方は勿論あると思う。ただ、それがベターな方法だろうか。私などはもっと根っこを考えたいのである。(つづく)
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| 住まいづくりのヒント | 11:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
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