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アテフ・ハリムさんとのこと...。
  この間の日曜日、私はつかの間東京にいました。旧知のヴァイオリニスト、アテフ・ハリムさんが奏でるヴァイオリンを聴く為です。それだけ書くとなんと贅沢な事かと言われそうですが実はそれだけではありません。かの前川国男氏設計の東京文化会館小ホールという絶好の器の中でという注釈がつき、もっと言えば前川国男は言わずと知れたル・コルビュジェの愛弟子にて会館の横にはコルビュジェ作の西洋美術館があります。1959年の美術館に続き、1961年(1961年は私の生まれる前年)、音楽・芸術の殿堂としてこのホールは建設された54年前のモダニズム建築の傑作です。以前福岡でお会いしたときに。会館が改装の為に一年リサイタルが開けない。アテフさん自身国内で一番気に入っているホールなので、一昨年まで毎年行われていたリサイタルを来年は再会するからと言い、一昨年同様、私も必ず行くと約束しました。来福の折りには連絡をもらい必ず一献交わす仲ですが、私が友情に律義な訳ではなく、ただこんな機会を逃してはならぬと無理矢理力ずくで約束をして自分を東京に弾き飛ばしたというのが真実かもしれません。笑。近年休みもほとんど取れずこうでもしなければ決行不可能。小心な私はお客様に迷惑はかけれないととんぼ返りの大冒険でしたが、やはり行って良かったと実感しています。
 ホールからは、当時の生真面目な大理石のようなコンクリートにモダニズムの神髄を垣間見、建築に向かう先人の魂を感じます。そして、彼の奥様のMCの明美さんの「神に託された愛の戦士」と称されるアテフさんの平和への祈りが、心の奥の奥を鷲掴みにして揺さぶられる感覚に酔いしれました。アテフさんとは、お会いして間もなくより何となく他人とも思えず、「何処かで兄弟だったかなあ」と言い合う仲です。巨匠にそんな馴れ馴れしいとファンの皆さんには叱られそうですが、ご紹介者とは疎遠になりながらも、それ以来ご夫妻とは心温まる親交が続いています。2011年、福岡で私が仕上げた民家のリビングで、50人あまりの聴衆の前でホームコンサートをひらいてくれました。東京で私の仕事のバネルを見られて、「これは貴方が作った建物か?」と聞かれ、そうだと答えると「ここでいつか弾いてみたい」とつぶやかれた言葉を私が聞き逃さず、図々しくもお願いしたものでした。以来博多では、おでんと焼酎を愉しむ仲です。人のご縁の不思議さをこの歳になるとよくよく感じます。こんな世の中だから、自身のフィールドで何かを訴え平和な社会を維持していく努力をしなければいられない。そんな姿勢が共感でき、自分自身の立場で私もまたそうしなければと心に誓いました。音楽も建築も、人の心に直結するものです。分野は違えども、アテフさんの想いは、私の仕事に大きな喝を与えるに余りあるものがありました。アテフさんご夫妻に深謝。
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| 音楽・アート | 07:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
住まいづくり報告山口市T邸 外装工事
 山口市内で工事を進めているT邸が外装板も張り始めて、何となく外観のイメージが見えてきました。南面片流れのシャープな屋根の線が印象的な外観が強調されてきています。右手に見える2本の独立柱がエントランスのポーチで、ここから入って行きます。小さな規模の住宅でも、傘の折りたたみやコートの脱ぎ着は玄関の外で行いたいもの。そう言う理由から弊社の作る住まいの玄関前はかなり贅沢なポーチを取る事が多いのです。雨の日の子どもさんの遊び空間にもなりますし、木製の気密ドアを玄関で使う以上、極端な雨かかりは避けたいという想いも具現化しています。写真は敷地の導入部ですが西面なので、通風以外の開口部はほとんどありません。向かって右側に回れば、眼下に幹線道路が広がり、南面のウッドバルコニーからは、遠景まで視界が広がる眺望が愉しめます。梅雨の雨を塗っての仕事、仕上げまで急ピッチに進んで行きます。
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| 住まいづくり報告 | 06:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
詮無い事ではありますが...。5
 先日の総務省に寄る20代30代の独身者対象のの調査で、かなりの数の「面倒くさいから恋人は作りたくない」という回答が集まったことにすごく驚いた事からこの稿を進めました。今日がその最後です。そんな事をウザがる若者の日常を思えば、何だか殺伐としてもの悲しくすら感じますが、若者たちには案外「自分たちは自分たちなりの楽しみ方をしているんだからほっといてくれ」と言われてしまうのかもしれません。ただ何事も、「ウザい」プロセスを踏んだ上で得た達成感・満足感は、あらかじめ何もせずとも準備された事よりも「何十倍も愉しい」ということを実感してほしいと思ったりします。 とかく物事に起承転結を付けて、体裁が伴わないとカッコ悪いと、全てにおいて消極的に動いてしまう、むしろ動かない。今風に言えば、「フラれると傷つくから告(こく)らない」というリスクヘッジという思考停止だけは、若者に限らず近年の日本人の傾向であり、どうもそれが昨今の社会のひずみのような気がしてならないのです。
 格好悪かろうが、無様であろうが、辻褄が合おうが支離滅裂であろうが、時間は容赦なく過ぎて行きます。そして身も蓋もない言い方ですが、高々7〜80年の人生において、我々はダラダラと、食べて出して寝て起きての日々を漂うように過ごしているのです。そこには映画や小説のようなトピックはそれ程ちりばめられて無いかもしれません。しかし私たちにとっての「幸福」というものは、その節々のドラマチックな結果ではなくて、何に向かってどう言う思いで漂っているかということによって決まっていくように思えて仕方ないのです。例えば、その志がタイムオーバーで途中で途絶えようが、方向転換を余儀なくされようが、その前向きなプロセスの充実感こそが、実際の「幸福」だったりするのではないでしょうか。
 人生は、詮無いことばかりです。結果を出す事、体裁を整える事だけを見つめすぎると間違いを犯します。あらかじめ与えられたものの中には本当の「幸福」はありません。ふと振り返ったときに何も幸福が詰まってなかったと公開しないように、日常のプロセスをもっともっと大切にしたいものです。詮無い事ではありますが、私たちは日々淡々と、「幸福」という羅針盤を抱えながら、何ともない日常を送るべきだと最近とみに思うのです。(終わり)
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| エッセイ | 06:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
詮無い事ではありますが...。4
 さて、「面倒臭い」世の中を愉しく生きる方法は無いものかと常に私自身も考えていますが、要は達成感というご褒美にありつけるまで、やはり面倒臭くてもやるしか無いのですが、そこはだましだましという事になります。随分前の事にはなりますが、専門学校で若者たちの指導をさせていただいていた頃に、私が腐心していたのはその一点に尽きると思います。「やる気」を出すにはこの先どうなるかをイマジネーション出来るかという事が大きなポイント。なれてない子たちに、私が試みたのは少し先の結果をあらかじめ示してあげる事、水先案内です。山積する問題の前にうずくまってしまう前に、「貴方の先にはこんな良い結果が待っている。だからもうちょっと進んでみないかい?」と誘うのです。一度達成感を味わうと、自分自身でその想像が可能になり、次からは自力で少し進もうとします。そうして行くうちに少しずつハードルをあげれば、結構な事を誰に言われなくてもやり始めます。面倒くさい事を避けて通る人は、きっとこうい指導を、誰からも受けていないのではと思ったりします。そう考えれば、若者たちの問題は我々その先を走る者の問題でもあるのです。まさか恋愛の指導をする訳にはいきませんが...万事において共通の問題は、リスクを超える勇気の為の結果の想像に欠落している事だと思ったりします。(つづく)
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| エッセイ | 07:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
詮無い事ではありますが...。3
 思えば「うざったい」という日本語が、いつしか縮められて「ウザイ」と連呼されるようになったのはいつ頃からの事だったでしょうか。とにかく細々と面倒くさい事を鼻から拒絶する傾向は近年加速度的に蔓延してきた気がします。例えば、達成感とか、満足感とか、自分以外の人との喜びの共有とか、「幸福な気持ち」の源となる感覚は、全て前段としてこの面倒くさい過程が必要な事ばかりなのです。乱暴に言えば本当は、若い頃の恋愛などというものは、なかなか想いが先行して成就しないくらいが良いのかもしれません。過程の中で、傷つき、悩み、打ち拉がれて、また自分を鼓舞して立ち上がりとやっていくうちに自分以外の人とのつき合い方や、俗にいう世渡りを覚えて行くのだと思います。何処かの記事に「若者は傷つくのがいやだから恋愛感情を相手になかなか伝えない」という事が書かれていました。全てにおいて「うざい・面倒くさい」で瞬時に拒絶すれば何も始まらないはずです。使い古されて手垢まみれの言葉に「青春」という言葉があるのでしょうが、これは経験上きっと心の七転八倒の時期を言うのではないでしょうか。甘酸っぱく、少しばかり馬鹿げているけれどもどこまでもピュアで、もう心は日々引っ掻き傷だらけです。そう言う意味では、今の若者には、青春期が無いのです。青春期の無い若者がどんな大人になって行くのか、私には想像もつきませんが、そう言う状況の社会を担う者の一人として、彼らと向き合って行かなければならないと思ったりします。(つづく)
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| エッセイ | 07:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
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