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アツカシサムカ...。2
 おそらくは、例えば酔っぱらって一晩屋外にして凍死するほどの寒い日はこの福岡ではそう無いと思われますが、体感的に「寒い」というリアルな感覚は、これからの季節では日常を支配している感覚だと言うことは出来ると思います。福岡も一冬に何度かは雪が積もりますし、南九州の鹿児島でも雪が降る寒い日はあると言うと関東以東の方は信じられないと言うお顔をされます。しかし、「九州は暖かい」というのは東京から見たいつの頃からか固定されたイメージに過ぎないのです。かつて私が勉強に伺っていた北海道では、住まいにエアコンをあらかじめ設備すると言う事が殆どありませんでした。冬の暖は薪ストーブなどで取りますが、夏は自然通風でしのげて梅雨も無い、そんな感じでした。地球温暖化の影響か、最近では北海道でも都市部は冷房がいると聞きます。ただ、圧倒的に冬対策が主体ですが、ここ福岡では冬も寒いと感じるのに夏対策も徹底しなければ命取りです。気象庁発表でも36℃などと言う気温はざらですし、体感的には40℃を超えているだろうと言う猛暑日も少なくありません。つまり、真冬日も無くはない福岡は、実に40℃と言う温度巾の中で快適領域をキープしなければならないエリアだと言う事です。例えば、北の方で-10℃から30℃までの40℃巾のエリアがあるとすれば、快適領域をキープすると言う意味では、福岡と変わらないと言う事になるのです。しかも梅雨の湿度は尋常ではないために不快きわまりない。案外福岡は過酷な環境だと言う事が出来るのだと想います。(つづく)
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| 住まいづくりのヒント | 08:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
アツカシサムカ...。1
 今年の福岡はもう12月になると言うのにいつまでも暖かく、暖冬の予報も出ているために異常気象もどうなる事かと想っていましたが、漸く冷えてきて、どの家々も灯油を買い込み「暖」をとる季節となってきました。タイトルの「アツカシサムカ」を福岡以外の方が読むと何のまじないかと思うかもしれません。カタカナで書くと私たちでも変な字面に見えるくらいですが、「アツカ」は「暑か」で暑いというとこで、「サムカ」は「寒か」で寒いと言う博多弁です。間に「し」が入ると「暑いし寒いし...」というような意味になります。福岡と言う場所の気候を地元の言葉で言うとこうなります。笑。「アツカシサムカ」まさにこれなのです。これから福岡は日本海側独特の曇天候で日射が少ない、しかも北風が玄界灘から吹いてくる寒い冬を迎えます。北国の方からすれば、南国九州にいて「何が寒いのよ」と言われるかもしれませんが、これが案外寒いのです。確かに北海道の方が「今日は5℃くらいあるからまだいい」などという冬の5℃は氷点下、つまり-5℃ですし、その凍てつきようは尋常ではないのですが、暑さ寒さは様々な要素を含めて体感として感じるものでそう言う意味では単純に寒暖計では計れない感覚だと言うことなのです。笑い話ですが、「北海道人が冬の九州で風邪を引く」というのはよくある話しで、北国の来客は必ずと言って良いほど「福岡は寒い」とつぶやいて換えると言う事になるのです。(つづく)
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| 住まいづくりのヒント | 09:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
家族を想えば...。5
 今回は、「家族」という言葉を再確認することから少し住まいのあり方を考えてみました。一世代前の人の家族感と、現代人の考える家族感は、これほどめまぐるしくの世の中が変わっているのだから、変わっていて然るべきだと想ったりします。かつての血縁によって結ばれた大家族主義は、特に都市部では壊滅状態になりました。その是非は、私が語らずとも歴史がいずれ語り始める事ですからここでは触れません。ただ、どうも私たち日本人は個人主義を貫くよりは、少しばかり助け合って、肩寄せ合って暮らす事の方を好むようなのです。なぜならば、独居老人や核家族は、それぞれが何となく不足を感じて暮らしているようで、得も言われぬ不足感からくる寂寥感は、現在様々な社会の歪みを生んでいるような気がします。さりとて、「国家は一家」のような全体主義に暴走することがどんなに一個人を傷つける事かは先の戦争で自明ですが、近頃きな臭いのも事実で、私にはこの辺りのバランス感覚を整えなければ、今後由々しき方向へ行ってしまわないかと言う事が心配でならないのです。血縁と言う縛りを外せば、私たちは知らず知らずのうちに新しい「家族」を形成しています。何気ない日常の中で気の合う仲間、声掛け合える関係、居心地の良い場所、語らう安心感が持てる時間、そう言うものを紡ぐと新しい「家族」像が浮かび上がってきます。若者のシェアハウスや、学童と老人福祉施設を併設させると双方が大変上手くいく事例などに触れて、最近私の頭の中はそんな事が渦巻いています。向こう三軒両隣、落語の熊さん八っあんの世界には笑いと活気があり、額に青筋立てて経済経済と連呼したり、近隣国を敵視しては武器弾薬をかき集める危なっかしさはありません。何事も、足下から繋がっている視点で考えなければ大きな間違いを起こします。「家族」に関して、少し柔らかい視点で考えてみたいものです。
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| 住まいづくりのヒント | 07:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
家族を想えば...。4
 好景気に沸き、バブルで頂点を迎えるまでは、自由奔放を謳歌してきた日本人の心の奥底に、何となくすきま風が吹き始めて、本来もっと片肩寄せ合って暮らす民族だった私たちは、今「家族」というものを再構築したいという渇望にかられているのかもしれません。もちろん、田舎でかつてあった大家族主義で、3世代4世代が一つ屋根の下に暮らすことが再現できるのであれば、ためらわずに戻れば良いと想いますし、待機児童を持つ核家族と、独居老人などは、血縁と言うものにこだわらずに、よければ一緒に暮らし始めれば良いと想うのです。現実的に、気の合う人同士が一緒に暮らしたいと言うお話は、近年とみに聞く機会が増えています。私は住まいづくりを生業とする者として、こういうお話には柔軟に対応したいといつも想います。おそらく、行政や法規制、様々な対応が必要だとは想いますし、住まいの作りそのものも見直しが必要ですが、私はこういう「家族」のあり方も十分あり得ると想うのです。共働きを強いられる経済状態に、子どもを預けられない社会サービスの限界、老人は団らんからいつしか離れて独居老人となり、人生経験の英知を伝える事も無く寂しい時間を送っている。もし、他人同士でも気の合う関係が構築でき、ともに暮らす事で安らぐ事が出来うるのならば、様々なことが一気に解決するような気がします。
 想えば戦後の日本は、煩わしさからの逃避に終始して、大切なコミュニティーや自分たちが創りだす社会システムに対して淡白すぎた感じがします。個人を軽視し、何だか全体主義が横行する昨今のキナ臭さい政治に、お為ごかしで陰に潜む圧力を感じてしまうのは私だけでしょうか。私はどんな形であれ、柔軟に自分たちで考えて選択していく事が大切だといつも想います。そう言う意味では、「家族」と言う言葉も見直しの時期に来ているのです。(つづく)  JUGEMテーマ:建築
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| 住まいづくりのヒント | 08:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
家族を想えば...。3
 往年の、日本の大多数が田舎で、一族郎党が代々土に根ざして一カ所に暮らしていた頃に、戻ると言うようなセンチメンタリズムを語るわけではありません。戦後の日本は自ら進んでそうなってきました。自由で常に更新されるニューファミリーは先代の重圧も無くのびのびとしてきましたが、足りないものも少なくない事は分かってきたような気がします。最近よく「歳を取ったら気の合う仲間と一緒に暮らしたい」などという台詞をありとあらゆる場所で聞かれます。時には老人ばかりの集まりだったり、我々のようなその予備軍だったり、子育て真っ最中のお母さん達だったり、企業戦士の時もあります。様々な立場の人々が、何かに渇望しているのです。人間と言う種は、そもそも群れるものなのか否かは、専門外の私には明快な回答を準備できませんが、どうやらその渇望に対して、適度なバランスと言うものがあるのかもしれません。窮屈でなく、さりとて寂しくもないバランスを、私たちは模索しているのかもしれないのです。かつて3世代4世代と一つ屋根の下で暮らしていた家族は、血縁と言うものをその絆の根拠としてきましたが、私はこれからは必ずしもそうである必要はもはや無いと想ったりします。様々な立場の人が口々に語るように、疲れない気の合う仲間が集って住むということで新しい家族の形が実現していけば良いのだと想ったりします。
 昨今は、若い方ほど男女混合のシェアハウスなどに抵抗が無く、絶妙な距離感で一つ屋根の下で戸建て暮らしを謳歌するなどと言う事を耳にします。我々の世代ではそう簡単には行きません。つまり、世代が下がるほどに、かつての家族とはまた別の「家族」というものを再構築する能力に長けているのかもしれません。(つづく) JUGEMテーマ:建築
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| 住まいづくりのヒント | 07:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
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