先日、20年前に建てたお客様のお宅で一日限りの出張カフェをしました。私の一番の嗜好品である珈琲を、イベントで振る舞ってお客様のお仕事を応援するためです。そこで、せっせと珈琲を入れて、お客様の反応を見ながら、私はずっと考えていました。築20年の空間を褒めてくださり、美味しいと珈琲を味わっていただきながら、四方山話で柔らかい表情を魅せていただくお客様に、この空間の空気感は何を働きかけているのだろうかと。いわゆる今の一般的な住まいであれば、築20年と言えば建替えすらも視野にちらつく存在になってしまいます。長持ちしているからなどと言う単純な事ではなくて、どうしたらこのやさしい気持ちを醸し出す空気感をさじ加減出来るだろうかとそんな事をずっと考えていたのです。まだまだ発展途上で、明確な答えを持っている訳ではありませんが、先日のカフェの空間もそうですし、近く自邸のリビングダイニングをカフェレストランにする予定の築16年になる鹿児島のH 邸もまたそうなのです。居心地が良いと皆さんに褒めていただいて、住人はリビングから来客がなかなか帰らないと言われます。居心地というものに単純な物差しはないのですが、築年数が日々増していっても、尚更にそうなっていくものとそうでないものの差は何なのでしょうか。
冒頭で書いたように、時間軸の絶対の流れの中にあって、私たちは記憶と言うすごい機能を神様から授かっています。そしてまた、忘却と言う機能をも併せ持っています。喜怒哀楽を等価にただ記憶の中に羅列する機能しかなかったのなら、私たちの人生はどれだけ荒削りで無味乾燥なものだったでしょうか。悲しみや苦しみを忘却し、些細な喜びややすらぎをずっと思いとどめている事が出来るから希望が持てるのだと思ったりします。問題は、そういうバランスでこの機能が使えるかと言う部分であって、まさに、周辺環境の豊かさだと思うのです。(つづく)
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