日本の住まいが、本当の快適レベルになかなか達しない原因として、まずは皆さんが本当の快適性の担保された住まいを知らない事と、「坪単価×床面積=予算」という公式に当てはめられた予算感覚で、目には見えない「性能」が後回しにされているとこを書いてきました。
最近の私はそこにメスを入れて、従来のプランの規模をもう一度見直すことを実践しています。2年前に糸島で竣工した「終の住処」は、リタイアを控えたご夫婦と長年ご一緒のワンちゃんのために、子供さんたちの帰省や来客用のゲストルームも備えた29坪の住まいをご提案したし、まもなく竣工する「HOUSE-M」では、福岡市内の狭小地に建つ27坪を切るご家族4人のための住まいを提案しています。勿論、万人がゆとりを持って暮らすスペースとしては、もっと大きくても良いのかもしれませんが、冒頭の公式「坪単価×床面積=予算」の床面積の部分を少しでもスリム化すれば、同じ総予算でも坪単価は上げられ、本来後回しと言うよりも最優先課題の性能に関しても、予算がかけられるという好循環が始まります。
そもそも、一度自然界から切り分けて、自らの空間とした室内は、暮らしている限り暖めたり冷やしたりし続けなければなりません。建てる時にそれを真剣に考えれば、やはり暮らしのヴォリウムは極力小さい事のほうが有利であると言う事が出来るのです。かつて高度成長期の頃あった、火消し纏を先頭に法被姿の音楽家山本直純さんが「大きい事はいい事だ!」というキャッチーな言葉をメロディーに乗せて闊歩するテレビCMをご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。昔から「大は小を兼ねる」ともいいます。がしかし、本当にそのままで良いのでしょうか。いわゆる消費を煽り、経済を肥大化しつづけることで右肩上がりの社会を維持してきたこの国は、本当はそろそろすでに下り坂をおり始めているという事を謙虚に認める方が良いのではないかと思うのです。しかも、高度成長で少しずつ規模だけは膨らんで豊かになった筈の住文化は、豊かで暖かい家族を育んできたかという疑問もあります。こう考えて行くと逆に「小さい」ということに、かすかな光明がある事も考えて良いのではないかと思い始めているのです。(つづく)
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