建築YA「髭」のCOLUMN

福岡を中心に住まいづくりをする建築YAのコラム
木の住まいって、優しい...。5
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     木の住まいの優しさについて少し書いてきました。優しさは、ただただ求めるだけのものではなくて、相互に育むものではないかなと思ったりします。そう言う意味では、木という素材は優しく手入れをしていくことでいつまでも美しさを保ち、私たちに何とも癒えないやすらぎを与えてくれる素材です。ただただ堅固であると言うだけでもなく、その部分が大切であるような気がしてなりません。何となく刺々しい世の中は、欲求に応えて消費すると言う一方通行の→ばかりに慣れ過ぎで、ものに対しても、人に対しても、とても「優しさ」に欠ける昨今です。今こそ私たちはこの「木」を大切に使いながら豊かに過ごす日常を思い起こす必要があるのかもしれません。効率ばかりが重んじられ、木肌を磨く時間すらなくしてしまっている今、私たちは便利の先の不便に打ち当たっているのではないでしょうか。対峙すれば銃を取り、ファイティングポーズをとってしまう。体制に逆らえばそれはすぐさま反逆である。お金で買えないものはなく、経済のためなら武器でも原子力でも売りさばく。つやのある木目をじっと見つめてご覧なさいと私などは言いたいのです。木材はその材になるまで大地に立ち、何十年も太陽と土の養分を頂き育ちます。それを伐採し製材し、肌を磨き、油を与え、私たちに優しく語る木肌になります。お金には換算できない途方もない時間です。私はこの木を使って住まいづくりをする日本の本来の豊かさをゆっくり考えれば、自ずと「今」のおかしさが見えてくる気がしてなりません。みなさんで、もっともっと優しさを取り戻さなければならないと思います。(おわり)

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    | 住まいづくりのヒント | 06:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
    木の住まいって、優しい...。4
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       法隆寺に行かれた方は、1200年前から変わらぬ見事な伽藍に目を奪われ、五重塔や百済仏に注目されるだけでも余りある場所ですが、私は伽藍を囲む廻廊の柱一本一本を少し見ていただければといつも思うのです。見事なまでに、時代時代で朽ちて傷んだ部分を、同じような木目の木材を当てはめて、まるでパズルのようにして補修している匠の技の極地が普通に見る事が出来ます。私はいつも、あの場所に立った時に、悠久の昔から連綿と続くその技に感心し、その技をもってこのお寺を伝え続けてきた人間の意志に驚嘆しないではいられないのです。そして、1200年とは言わなくとも、少なくとも私たちの創りだしたものも、せめて木材の寿命を全うするくらいの間は、住まい手に愛でられ、温存するための手入れをしていただけるように創らなければならないと思うのです。

       近代この国の建築は、まさにこの真逆の消費されるものに成り下がりました。優しい木材を使っているのに、優しくないのです。私は優しさのあるものを出来るだけ次世代に繋げていくような、そんな仕事が出来たらいいなと思います。甚だ乱暴ないい方ですが、どんな劣化対策よりも、私は住まい手の愛着こそがその住まいを温存させていく原動力だと時々口にします。もちろん、性能も、劣化対策も大切な事はもちろんですが、それも、住まい手の愛着があってからこそなのです。(つづく)

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      | 住まいづくりのヒント | 05:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
      木の住まいって、優しい...。3
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         森の木を切り出して乾燥させ材料とすれば、構造材としても、仕上げ材としても他のものよりも断然加工しやすく、丈夫でで手入れ次第では長持ちをします。あくまでお手入れをしてと言う条件はつきますが、古くなるほどに味わいを増して、存在感すら増していく材料として、木材は住まいに最も適していると言うべきかもしれません。それ程目通りの良い一級品でなくとも、私などは無垢の木の床を使います。ここはどんなにローコスト住宅でも譲れない。毎日触れていくものですから、こだわりと言うよりも絶対の条件なのです。木を浸透

        性の保護塗料で仕上げるだけで、長く使うほどに良くなる床になります。塗膜をつくる塗料はちょっといただけません。呼吸しなくなり、脂も吸わず、汚れ始めると陳腐で始末に負えなくなってしまう。無垢の木の床は、浸透性のあるもので仕上げれば、足の裏から出る脂を吸い取ってくれ、素足にも気持ちよい床で、日々乾拭きをして手入れしていくとどんどん光沢が出てくるのです。総じて見た目にも触れてみても「優しい」材料だということが出来るのです。

         合板に表面だけ木目の良いところを貼った複合フローリング(いわゆるフロア)や、最近では見事に木目をフェイクした木に見える全くの別物すらあります。ただ、そういうものは、ひとたび劣化し始めると無惨なものが多いし、10年スパンの時間経過にはなかなか耐えれないものがほとんどと言わざるを得ません。結局巡り巡って一番「優しい」ものは、私たちが手入れをする「優しさ」で使う木だったりするのです。(つづく)

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        | 住まいづくりのヒント | 06:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
        木の住まいって、優しい...。2
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           近頃の世の中は何だか殺伐としていて、上にいく程やりたい放題で我儘きわまりないのには呆れますね。奥様を通して見えてきたお友達優遇政治は時に乗じて完全に頰っ被りして、アメリカのシャイアンみたいな大統領と、この国の近くのヘアスタイルがすごい人が危なっかしい戦争を始めかねない中で、何となくそれを機に、この国をキナ臭い方向へ進めたい感ミエミエの社会の動きは、庶民としては辛いものがあります。全てにおいてこの異常事態は何なのだろうと思う事が多いのですが、要は、全てにおいて「優しくない」のです。社会的地位や影響の大きい人ほどそんな感じだからおかしくなっているのではないかと思ったりします。考えれば、無垢の木の優しさに癒される時間など彼らにはないのかもしれませんが、本当に胸が痛くなってしまいます。高度成長期のスクラップアンドビルドが染み付いているのか、何となく薄っぺらいもので囲まれている暮らしこそが、その元凶ではないだろうかと言えば言い過ぎかもしれません。ただ、私などは、分厚い無垢の天板のテーブルと木の椅子に座り、ゆっくりと温かい珈琲など入れて差し上げて、静かに会話を愉しむような時間をもっと持つ事で、ほどけていく事も多いのでないかと思ったりします。(つづく)

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          | 住まいづくりのヒント | 09:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
          木の住まいって、優しい...。1
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             日本の住まいは、長い歴史の中で豊かな森林資源とともにあり、そのほとんどは「木」で創られてきました。私たちはその長い時間の延長線上で今を暮らしています。木の優しさは、私が語るまでもなく、皆さん実感としてお持ちでしょうし、日本人であれば誰でも共感できる感覚の一つかもしれません。ただ、戦後70年の日本では、敗戦による焼け野原からの復興という命題のもと、短期間によるスクラップアンドビルドが繰り返され、木造の住宅も何時しか20年とか25年と言う周期で建替えられる代物に成り下がってしまっている感はあります。本来の木造住宅は100年とか200年とか言う時間スパンで住み継がれていくもので「今」の有り様が必ずしも理想的ではない現状も現実なのです。以前読んだ本の中で、法隆寺大工だった西岡棟梁は生前、樹齢300年の木を伐採して材料として使えば、少なくともそれから300年と言う時間は十分に耐久性のある材料だと言う意味の事を言われていました。とすれば、現在の木造住宅の一般的な柱の太さの材料を木取りするには、最低でも50年くらいの樹齢は必要だと言う事で、であれば50年は十分に持つと言われる柱で20年しか持たない住まいを創ると言うナンセンスが今あるとすれば、それは改めて行かなければならないと思うのです。JUGEMテーマ:建築

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            | 住まいづくりのヒント | 06:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
            愚直に髭が建築YAである理由...。5
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               30年もこのスタンスで仕事をし続けてきたのですから、残りの時間を考えても、今更方向転換など叶いません。私は愚直にただ住まい手の最良の空間を求めて直向きに取り組んでいく事しか出来ません。もっと効率を良くとか、瞬間的な採算ベースに乗せてなどとも考えますが、お客様の住まいづくりとして少しでも採算ベースに乗せてと思い、もがけばもがくほど、自分の採算ベースが危うくなってくるのですから始末に負えません。笑。ただ、そこに私たちの存在理由があるのかもしれないと思ったりもするのです。京都で垣間みた伝統建築の世界は、誰がこんな仕事を見て喜ぶのかと言うようなスタンスでは仕事をしません。依頼人に及ばず、「後世の人」とひとくくりにして、遠い未来にも想いを馳せてものづくりをします。住まいづくりとて、そう言う視点は必要かもしれません。依頼人である住まい手自身のためである事はもとより、後世住み継がれる方のため、またその住まいがそこに存在し続ける事による社会の意味や貢献度、色々な事が良くなる方向へと考えながらものづくりするべきなのではないかと思ったりします。先日イベントで、20年前の仕事を再びお披露目して皆さんに褒めていただく機会がありました。日々の苦労も解けていく至福の時間でしたが、やはり私は、愚直にそう言う仕事の仕方しか出来ないと確信した瞬間でした。古い仕事のメンテナンスやご相談に、最近「家守り」という言葉を造語して使っていますが、私の仕事はまさに一つ一つ新しい住まいを創造しにながら、かつての仕事の家守りをずっとしていく事だと思います。住宅業界は、しばしば「手離れ」という言葉を使いますが、一旦創りだせば、手離れなんてないんです。もちろん、経済行為としての住まいづくりには区切りはありますが、その後は、住まい手とのエンドレスな人間関係が続いていくのです。この愚直な仕事ぶりで、どこまで生き伸びれる事かは神のみぞ知るですが、やはり、私は愚直に建築YAであるのです。(おわり)

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              | 住まいづくりのヒント | 07:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
              愚直に髭が建築YAである理由...。4
              0

                 京都で、伝統建築に触れる事に憧れて就職して間もなく、血気盛んなゆえに疑問も感じ、会社を辞めようと思った時に、一番慕っていた先輩から「お前は器用過ぎるからこの仕事は向かない。早う今用(現代もの)を覚えて気張ったらいい」と助言を頂いたのは今でも鮮明に覚えています。今思えば、鼻っ柱の強いどうしようもない後輩に対する餞(はなむけ)の言葉に違いなく、精一杯の褒め言葉に脚色して戒めてくださったんだと感謝の気持ちでいっぱいになります。10年ほど前、そんな先輩が福岡を訪ねてくれた事があります。二人で一杯やりながら、後継者不足の業界にあって「坂本君、おまえ京都に戻ってこーへんか?」とポツリと寂しそうに言われた事がありました。ふっと「お前には向かない」と言われたじゃないかと口に出そうになりましたが、それ程先輩も困られているんだなと思いました。「もう今様の手になってしまいました。僕にはおそらく無理ですよ」と言うと。「そうやな。むりよな。冗談やがなー」とお話はそれっきりで、先輩は来福の目的も語らずに帰っていかれました。

                 現代の住まいづくりの分野にあって、器用すぎると言われた私が、ここまで不器用に一つの事をやり続けていると言うのも皮肉なものですが、当時の経験や諸先輩のご指導は今も仕事に繋がっているんだなと最近良く思います。あちらの道にそのままいたらどうなっていたのか、ifは存在しませんが、愚直に淡々と仕事をしていくスタンスは変わらなかったのかもしれません。そう言う意味では、私は当時と同じように、不器用までに一つの事を進めていくその姿勢に憧れているのかもしれません。(つづく)

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                | 住まいづくりのヒント | 07:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
                愚直に髭が建築YAである理由...。3
                0

                   もう何十年も、様々な呼称の中から「住まい」という言葉を使い、そこに暮らす人を施主でもオーナーでもなく「住まい手」と使って文章を書いています。最近は、同じ使い方をされる方も増えましたが、家でなく「住まい」であり、施主でなく「住まい手」であるという言葉使いには、私はそれなりの想いを長年詰め込んできました。最近15,年、20年とお付き合いを重ねてきた住まい手であるお客様と、折に触れて旧交を温めながら話していると、その想いは間違っていなかったなと思うとともに、やはり商業ベースで手垢に塗れてほしくない言葉だなとも思ったりします。簡単に、作っておわりの家ではない。何となく軽々しく、そう言う時は、「家」、「施主」でいいじゃんと思ってしまう偏屈な自分があったります。私が格闘しているのは、住まい手の暮らす住まいなのです。もっと言えば、暮らしそのものかもしれない。耐久性、性能、機能はもとより、住まい手の趣味嗜好、暮らしの信条などが織り込まれた空間を創りたいと思っているのです。愚直にそれを30年もやっていて、取り立てて自慢できるものなど何もありませんが、一つだけ言える事は、ずっと一筋の道筋が変わっていないところ。時代の流れに即応して、色々と変わった事をやる方の方が得てして目立ちますが、私などはその反対側の最たるもので、言ったりしたりしている事は30年変わらず、今でもぶれずに同じ事を思って住まいづくりをしていて、昨今は時代が同じ事を言い始めていささか当惑していると言うのが正直なところなのです。突然大騒ぎし始めたものは、やがてトーンダウンしてまた違う事を言い始めます。そんな風潮にはぶれずにやっていくしかないと思っています。(つづく)

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                  | 住まいづくりのヒント | 07:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
                  愚直に髭が建築YAである理由...。2
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                     住まいづくりでは、住まい手があくまで主役です。髭などはやして偉そうにしていますが、この圧倒的な存在感にはけっして叶いません。つまり、主役である「住まい手」が、自由闊達に、快適に暮らしを愉しむための空間たればこそですから、私たちはその機会に携わる者でしかないと言う事が出来るかもしれません。私も「ケンチクカ」に憧れて、それを目指し、そう言う専門分野に進みました。世界に名を轟かした巨匠達の生涯をひもといては、少しでも見習いたいとも思いました。アトリエ系の事務所にわらじを脱いで、「建築」という言葉を怯えながら発音し、何度も反芻した事もありました。「デザイン」などという言葉を軽口では決して発音できない雰囲気の中でデザインを論争する場面にも出会しました。そして、何時しか、ぽつりぽつりと自分の名前でお仕事をさせていただくようになりながら、自分なりに理解した事は、講釈は別として、住まい手のリアルな暮らしと格闘して行く日々の責任の重さと、それを負ってでもかんじる事が出来る愉しさでした。「講釈は別として」と書きましたが、この講釈が上手くなければ「ケンチクカ」ではないのです。私は自分の講釈よりは、住まい手の想いを優先させたいと思ったりしています。人間は、矛盾だらけの存在ですから、理詰めで言っても解析できない住まい手固有の好みや、あるいは嗜好傾向が存在します。その一つ一つを汲み取ってものづくりをしていっても、例えばひとりの「ケンチクカ」像は浮かび上がってこないのです。そこにあるのはやはり、圧倒的な存在館の「住まい手」だけなのです。(つづく)

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                    | 住まいづくりのヒント | 07:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
                    愚直に髭が建築YAである理由...。1
                    0

                       この歳になれば、全く新しい出来事と、反芻するように何度も何度も目の前に現れてくるものとが交互に繰り返されて時が流れているようにも思えます。最近かつてのお仕事の出会いを思い起こされる再会や、かつての仕事のご縁からまた新たなお仕事への移行などが目白押しで、特にそう言う事を感じています。つまり、「今」と言うこの瞬間も過去の積み重ねてきた時の織りなす流れの行き着いたところであり、仏教では因果応報と言いますが、本当にその中に生きているなと言う事が多いです。総じて有り難いご縁ばかりで、私は幸福だと思いますが、「住まいづくり」と言う至って根源的なお仕事をさせていただいている身としては有り難いばかりです。自らの事を「ケンチクカ」と言わずに、建築YAと呼称している事には30年この世界にいる自分の想いがありますが、ご多分に漏れず、若き日はその世界にそこはかとない憧れを持ちました。ただ、今は他人様の暮らしと密着する住まいづくりをする者であることを自覚すればするほどに、そうあらない選択をし続けてきて良かったかもしれないと思うのです。「ケンチクカ」の先生がど派手なレッドカーペットの上をモデルウォーキングしている間にも、建築YAは日常の些細な事のために西へ東へ奔走します。たまに晴れがましい場所にもありますが、本来は、ことのほか黒子に徹しています。最近思うのは、自分なりにどちらが幸福かと言うことなのですが、間違いなく、後者なのです。言い換えれば、そんな日々しか能のない者とも言えるのですが、似つかわしい場所にいる満足感は何ものにも変えられないのです。(つづく)

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                      | 住まいづくりのヒント | 06:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
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